聖書と宗教改革

論壇:       聖書と宗教改革       10/31/2021

本日は宗教改革記念日礼拝です。1517年10月31日、ルターは当時のローマ・カトリック教会が発行していた免罪符に反対して、神学討論に参加するようにと、95カ条の提題をヴィッテンベルク城塞教会の扉に掲げ、これをきっかけにしてヨーロッパ宗教改革運動が始まりました。この件に関して私は毎年週報論壇で取り上げていますので、過去の論壇をお読みください。今回は宗教改革運動が聖書の宗教に固有なものであることを聖書各巻から読み解きます。

1、神の設計図によって作られた「神の箱」(出エジプト記25:10―22)は、それ自身で神通力を持つかのように解釈され(宗教の形骸化)、戦場に運び込まれた結果ペリシテ人に奪われました(サムエル記上4~6章)。聖なる神の箱は人間が自分の都合で利用できるものではなかったのです。

2、エルサレム神殿献堂式でソロモンは「天も天の天もあなたを納めることができません。…この神殿など、なおふさわしくありません。…このところに向かって僕が、また民がささげる祈りを天で聞きあげてください」と祈りました(列王記上8章)。神殿は「祈りの家」(イザヤ56:7、マタイ21:13)です。しかし見える建物は偶像化し、神殿があるから国家が安泰だ、神殿の存在が救いの根拠だと民は考えました。見えるものに依り頼む形骸化した宗教を改革したのが多くの預言者です。

エレミヤは「主の神殿というむなしい言葉に依り頼んではならない」と警告し(7:4)、エゼキエルは神殿の中で偶像礼拝が行われているという、シンクレテイズム(混交)宗教に陥った礼拝を告発しています(8章)。

アモスはイスラエルの民が宗教儀礼には熱心でも(4:4、5)貧しい者を虐げる指導者たちの偽善性を告発しています(2:6―8)。ミカは儀式律法に勝る道徳律法の重要性を叫びました(6:6―8)。これらは礼拝の宗教改革でした。

イエスは律法主義に陥って聖書の宗教をユダヤ教に変えてしまったイスラエルを、元のヤハウェ教に戻す(リフォーム)ために来られました。そのため「宮清め」によって律法を否定し(マタイ21章)、ファリサイ人の内容を伴わない律法主義を痛烈に告発されました(マタイ23章)。

パウロは生まれたばかりのキリスト教がユダヤ主義に戻るのを防ぎました(ガラテヤ書)。これらの宗教改革運動は聖書の宗教が「神中心」から「人間中心」に堕落することへの抵抗運動でした。

ローマ・カトリック教会は常に現世権力志向を持ちました。ルネッサンスによってヒューマニズムが全盛となった時、キリスト教会を人間中心から神中心に戻そうとしたのが16世紀の宗教改革運動でした。

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