神の予定と人間の自由意思

論壇:     神の予定と人間の自由意志     2/17/2019

キリスト教で最も難しい問題の一つは「神の全知全能」、「神の永遠の聖定」と、「人間の自由意志」との問題でしょう。ウェストミンスター信仰告白3:1は次のように言います。「神は…ご自身のみ旨の最も賢くきよい計画によって、起こりくることは何事であれ、自由にしかも不変的に定められた」。この聖定の中で人間の救いに関する聖定を「予定」と言います。

神が創造されたものは「極めて良かった」(創世記1:31)はずです。それなのになぜ悪がこの世に入って来たのでしょうか。神はなぜそれを止めなかったのでしょうか。神が創造された蛇はなぜ悪を選んで、神に反逆する道を女に唆したのでしょうか。神は蛇がこのような行動をすることを知らなかったはずはありません。それなのになぜこれを阻止しなかったのでしょうか。有限な人間には様々な疑問が次々に沸いてきます。

さらに私自身は、自分の自由意志でキリスト教信仰を選びました。ところがキリストは、「あなたがたが私を選んだのではない。私があなたがたを選んだ」(ヨハネ15:16)と言われます。神が私の意志と行動をすべて支配しておられることと、私の自由意志、そして私の責任はどのような関係にあるのでしょうか。

この難しい疑問に関して、キリスト教2000年の歴史の中で、いやあらゆる哲学、論理学、宗教学においてこれは古代から永遠の謎でした。

これからも解決されることのない問題でしょう。インターネットを見ますと古代から現代の様々な意見が開陳されていますが、どれも解決には至っていません。「この問題は神の神秘なので合理的説明不可能」「信仰によって受け入れるのみ」というのが正しいとらえ方でしょう。

私はこの問題を扱う姿勢が根本的に重要であると思います。人間は三次元の世界に生きていますが、神は時間に拘束されない「時間の外」におられる方です。これを時間の中で答を見つけようとする姿勢が間違っています。私は中学生・高校生向けの『キリスト教初歩教理問答』を書きましたが、第1問を、次のように設定しました。「この世界はいつ、どのようにして始まったのですか。」 答「神様が見える世界と、見えない世界のすべてを造られました。神は最初に光を造り、次に時間を造られました。神は時間の外におられる方ですが、自然と人間と生物をすべて、時間という枠組みの中で生きるように定められました」。

神様の頭の中では天地創造 → 神の国完成というストーリーができあがっています。私たちはこの世という舞台に遣わされて、自分の自由意志を使って自分勝手に生きています。神はこの舞台の監督でありまた観客でもあります。私という人間の存在も、この世に起ってくる不条理も悪も喜怒哀楽も、それらは神の国というジグソーパズルを完成させるための、一つ一つのピースなのです。

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