日本キリスト改革派教会の誕生と歴史背景

論壇:  日本キリスト改革派教会の誕生と歴史背景  4/29/2018

1938 国家総動員法公布:国家のあらゆる機関を戦時目的のために動員。政府が戦時下における国民生活を

くまなく監視する体制強化。

1939 宗教団体法可決 キリスト教会の実質的監督権は天皇制国家権力の手に。

1941 日本基督教団創立(富田満統理)。御真影、神棚を会堂に設置命令。

12/8 日本軍ハワイ真珠湾攻撃。

1942 日本基督教団統理、総務局長、伊勢神宮参拝。

日本基督教団、礼拝前の国民儀礼(宮城遥拝君が代斉唱、

   神社参拝)を各教会に通達。

中央神学校(神戸改革派神学校の前身)、国民儀礼実施に抗し閉鎖。

1943 正統神学会発足(松尾武、常葉隆興など)ウェストミンスター信条研究。

日本基督教団、愛国機献納献金、「大東亜共栄圏に在る基督教徒に送る書簡」(1944)など、

戦争に積極的に協力。

1945 8/ 6 広島に原爆投下 8/9 長崎に原爆投下 8/15 「終戦」詔勅。

10/25 東京で日本改革派基督教会(仮称)設立準備会。

11/19 神戸で新教派設立準備会(岡田稔、春名寿章、藤井重顕、大山忠一、松田輝一)

1946 4/29 日本基督改革派教会設立(東部中会、西部中会設立)。

日本におけるキリスト教と国家権力との戦いは、神社問題という形で先鋭化しました。明治政府は天皇を頂点とする中央集権的統治によって日本を支配するために神社神道を利用したからです。キリスト教は信教の自由を盾として神社参拝に反対しましたが、政府は、神社はすべての宗教を超える日本精神の精髄であるとして、国民の忠誠行為としての神社参拝を強制しました。後にこれは国民儀礼として、すべての日本人が守らねばならないものとされました。

キリスト教会は大勢に押し流されて消極的に、積極的にこれを受け入れていきました。宮城遥拝君が代斉唱、神社参拝をしてからでないと主の日の礼拝を始めることができませんでした。各教会の礼拝を警察官が見張っていたからです。神社参拝は第一戒への違犯だと明確に発言する教会と信徒は弾圧され、ミッションスクール、教会は閉鎖され、信徒は投獄されました。

しかし日本の中心的な教会では国民儀礼を積極的に受け入れたのです。日本基督教会大会議長富田満は1938年6月、朝鮮に渡り神社参拝を命令。朝鮮耶蘇教長老会総会で強行採決させ、この時反対した牧師たち2000名を投獄させるという暴挙で日本の憲兵隊に協力したのです。

日本キリスト改革派教会の創立者たちはこの苦い罪の体験から、新教派創立へと動かされてゆき、敗戦と同時に立ち上がったのです。

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