出エジプトの歴史2

神の名前について創世記では三種類の呼び名があります。一つは「エロヒーム」で日本語訳は「神」です(創世記1:1-2:3まですべてと5:1など)。二つ目は「ヤハウェ・エロヒーム」で、これは「主なる神」と翻訳しています(2:4以降)。昨年出版された『共同訳聖書』では「神である主」となっています。三番目は「ヤハウェ」だけで、これは「主」と翻訳しています(6:3、7:1など)。

「エル」は当時のオリエントでは神の普通名詞で固有名詞ではありませんでした。従って神は創世記では「エル・エルヨーン(いと高き神)」と呼ばれたり(14:18)、「エル・シャッダイ(全能の神)」(17:1、28:3、35:11)と自己紹介されます。

本日の説教テキスト出エジプト記3:14では神が御自分の固有名詞を「ヤハウェ」と自己紹介されました。6章3節では今まで「主(ヤハウェ)と言う私の名を知らせなかった」が、これからははっきり教えると言われます。3章ではヤハウェの意味が説明され「私はある」と説明されます。文語訳聖書では「有(あり)て在(あ)る者」と翻訳していましたが、こちらの方が正しいと思います。これは「すべてのものの存在の根拠」、「すべてのものを存在せしめる者」という意味です。

ところで創世記1:3の「光あれ」という翻訳について、私は「光がある」の方が良いと思います。なぜならまだ存在しない光に向かって神が「光よ」と呼びかけることは不自然だからです。尤も神は時間を超越した方ですから、これは語感の問題かもしれません。神が「〇〇がある」と言われるとその〇〇が実体化します。これこそ神が無から有を造り、「すべてのものを存在せしめる方」であることの証明です。

ユダヤ人たちは十戒の第二戒で「主の名をみだりに唱えてはならない」(出エジプト記20:7)と教えられましたのでヤハウェを「主」と呼び替えました。そして大祭司が一年に一回、主の幕屋の奥に、後には神殿の至聖所に入った時だけヤハウェの名を呼ぶようになりましたので、どのような発音か分からなくなりました。今ではヤハウェ、ヤーヴェ、ヤーウェなどと推測されます。

神が固有名詞を教えられたことは、私たちと人格的な交わりをしてくださるということです。サラリーマンが名詞を交換し合って交際を始めても、最初は姓だけで応答しますが、名で呼び合うようになったら、それはビジネスを越えた友人としての交際になります。それは人格的な交わりです。神様も私たちにファーストネームを教えてくださり、私たちは「お父様」と呼びかけることができます。それはイエス・キリストの犠牲によって、私たちの心の中に聖霊なる神様が宿ってくださり、イエスを信じるすべてのものが「神の子」とされたからです。「めぐみもて 子よと呼び、わがうちに住みたもう」(讃美歌358:2)。

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