作られる偶像礼拝

論壇:        作られる偶像礼拝        9/30/2018

祈祷会でハイデルベルク信仰問答を輪読していますが、先週は第94問で、十戒の第一戒「偶像礼拝の禁止」を学びました。私たちクリスチャンにとって警戒しなければならないことは、為政者が巧妙に新しい偶像を国民に押し付けてくることです。

明治政府は「教育勅語」「軍人勅諭」「御真影」等の手段によって、「天皇は現人神である」と神格化させ、批判できない領域を作ることによって、国民の統制をはかりました。これは敗戦によって根底から否定されましたが、日本の右傾化現象と共に復活し、国民が批判できない領域が新たに作られています。

1999年に「国旗国歌法」が制定されてから、様々な生活の場面で国旗が登場するようになりました。テレビで政府の記者会見などを見ていますと、日の丸に向かって一礼してからマイクに向かうというやり方が定着しています。これは公立学校の卒業式の場面などで、校長や来賓が挨拶する時に必ず行われています。

教育基本法のどこにも「国旗を掲揚し、国歌を斉唱せよ」などとは書いてありません。2006年の第1次安倍政権の時、強引に改正した教育基本法の目玉は「愛国心」を第二条の「教育の目標」に取り込んだことです。それは「伝統と文化を尊重し、それらを育くんできた我が国と郷土を愛する」という美辞麗句で、その延長線上に国旗・国歌があります。

記者会見場に立ててある国旗に、いちいちお辞儀するなどというおかしな行為ですが、彼らは祝日の日に、バスに取り付けてある国旗を見ても決して頭を下げないでしょう。大臣室には国旗があるはずですが、彼らが部屋に入るたびにお辞儀しているはずがありません。彼らは人の目に見える場所でだけ、頭を下げているのです。普通の人はオリンピックでは日の丸を振るでしょうが、それに向かって頭を下げることなどしません。

国旗・国歌は日本のシンボルだからそれに敬意を表すのは当然ではないかという意見もあるでしょう。しかし国旗も国歌も、国民投票によって決めたわけではありません。

もし私が「教会に入る時は、屋根の十字架に一礼してから、お入りください」などと言ったら、皆さんは私を罷免するでしょう。それと同じことが今日本で、国旗に対して行われているのです。

ただの布切れに頭を下げることが、現在すべての公務員に儀礼として要求されていますが、これは民間へも浸透してくるでしょう。そしてこのことは私たちにとっては偶像礼拝です。今はまだ布切れ一枚ですが、次に頭を下げよと言って来るものは何でしょうか。

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