バビロン捕囚

論壇:            バビロン捕囚       10/11/2020

BC722年、アッシリアはサマリアを陥落し、北王国イスラエルは滅亡。人々はアッシリアに奴隷として連行され、帰還が許されませんでした。これによって北の10部族は「失われた10部族」となり歴史から消滅しました(列王記下17章)。サマリアには外国から諸民族が植民し、残留した人々との間で混血しましたから、サマリアの人々は純粋なイスラエル人ではないとされ、新約時代までずっと差別が続きました。

587年、南王国ユダはバビロンによって滅ぼされ「バビロン捕囚」となりましたが(列王記下24章)、538年、バビロンを破ったペルシャの政策によって帰還できることになりました(歴代誌下36:17-21、エズラ記1章)。ペルシャは次のギリシャとの戦争に備えて、緩衝地帯としての平和なパレスティナが必要だったのです。

そうしますと人々の帰還は587年から約50年後ということになりますが、普通に「バビロン捕囚70年」と言われるのはどういう根拠によるのでしょうか。それは下記の諸聖句によります。

「これらの民はバビロンの王に70年の間仕える」(エレミヤ25:11、12)。「主はこう言われる。バビロンに70年の時が満ちたなら、わたしはあなたたちを顧みる」(29:10)。「こうして主がエレミヤの口を通して告げられた言葉が実現し、…70年の年月が満ちた」(歴代誌下36:21)。この時代の年表を簡単に表記しますと、

612年:バビロニア、アッシリアの首都ニネベを陥落

605年:バビロニア、カルケミシの戦いでエジプトを破り、パレスティ

ナ一帯を占領。ユダはバビロニアに人質を貢献。

597年:バビロニア、エルサレムを占領し、傀儡政権ゼデキヤを立てる。

第1回バビロン捕囚(列王記下24:10―17)

587年、バビロニア、エルサレムを完全陥落させ、王と主だった人々を

バビロンへ連行。第2回バビロン捕囚(列王記下25:1―21)。

583年:第3回バビロン捕囚(エレミヤ52:28―30

538年:ペルシャのキュロスの勅令。第1回帰還。この後帰還が続く。

520年:第2神殿再建開始 → 515年完成。

つまり70年というのはおおよその年数ということです。605年の人質から数えると67年、第1回捕囚からでは59年ですが、遅く帰った人から見ると70年を超える人もいたでしょう。70年というのは覚えやすい年数です。また、聖書の好きな数字7×10というわけです。

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