ヨブ記5,まとめ

論壇:      ヨブ記、5(まとめ)      6/20/2021

本日5回目の説教でヨブ記の説教を終了します。ヨブ記の作者は読者に何を訴えたかったのでしょうか。今までの説教を要約します。

①神とサタンの取引=散文の1、2章は物語全体の枠組みで、42:7以下の散文の結びの部分と合わせて絵の額縁を構成します。3~41章が絵です。ヨブと友人たちとの論争は神とサタンとの代理戦争となっています。

②理解されない苦しみ(4~7章)=ヨブの嘆きに対して三人の友人は「応報の論理」(神は善人には善を、悪人には悪を報いる)でヨブに起こった災難を説明し、悔い改めよと忠告します。ヨブのために祈る者は一人もいません。ヨブは「身に覚えのない罪」を悔い改めることはできないと自らの無実を主張します。

③仲裁者を求める(8~31章)=友人たちの忠告を受けいれることができないヨブは、もはや神に直接訴えるしかない。「私が話しかけたいのは全能者なのだ」(13:3)。しかし神の返事はない。罪人は神の前に立つことができない。自分と神との間を仲保してくれる誰かが必要なのだと嘆く。

ヨブはメシア預言を知ってはいただろうが、それらの預言で示されたのは、メシアの働き、氏素性、王国を立てるという役目、受難、栄光の回復などである。弱い者、罪びとに寄り添うという人格までは教えられていない。ヨブにおいて初めてメシアの必要性、神と罪人との間に立つ仲保者の必要性という新しい啓示が与えられる。それは「仲裁者」(9:33)、「証人」「弁護してくださる方」「執り成す方」(16:19、20)、「贖う方」(19:25)、私を顧みてくださる」方(23:6)と多彩な表現で表される。

三人の友人たちとの論争の最後(31章)でヨブは「私は身に覚えのない罪で苦しまされている。そのような罪を犯したことは【決してない】」(31:5、7、9、13、17、19、21、25、27、29、30、31、33、39)。と主張し、議論は最後まで平行線をたどったまま終わる。

④神の顕現(38~41章)=議論では解決の道は全くない。ここで神が介入され、人知を超えた神の偉大さが表明される。それは神の天地創造と被造世界の支配(宇宙、動物、古代神話の怪獣)において、ヨブがこれに並ぶことができるかと問われ、ヨブは沈黙せざるを得ない。

⑤結び(大団円)(42章)=神はヨブの訴えに直接答えられるのではないが、ヨブにとっては神がヨブの存在を認められたこと自体が救いとなる。神の登場の前では誰もが「自分を退け悔い改め」(42:6)ねばならない。

また神は三人の友人たちが神について「正しく語らなかった」(42:8)と断定され、応報理論では片付かない人生の苦しみがあるのだと示される。ヨブの忍耐に対して神は財産、家族を新しく与えて祝福される。

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