コヘレトの言葉1

論壇:       コヘレトの言葉 1        7/4/2021

コヘレトは「集会(カーハール)を招集する者」という意味で、新改訳聖書は「伝道者の書」と翻訳しました。表題の「エルサレムの王、ダビデの子」から、著者をソロモンとする保守的な説もありますが、8:2以下を見ますと、コヘレトは専制君主に支配されている無力な人間のように描かれています。結局「エルサレムの王」とは文学的技巧で、最も富んだ知恵者としてのソロモンならこう言ったであろうと前提した知恵文学です。

空しい(へベル)という言葉が何度も出てきます。この語源は「息」、「蒸気」で、転じて「はかなさ」、「空虚」という意味になります。どんなに富があっても苦労をしても、人生は空しいと厭世的な表現が繰り返される反面、「神を畏れ敬え」という積極的な勧めや、「神が心に喜びを与えられる」という表現も出てきます。享楽主義があるかと思うと悲観論があり、死を称えながら、生は死より尊いとも言います。

この矛盾を何とか説明しようと、多くの保守的な注解書では「著者は人間的視点に立って“空しい”という現実を嘆くが、しかし読者に信仰的な“忠告”を与えている」と、かなり苦しい解説をしています(チェーン式バイブル)。また「この世の現実は矛盾である。悲観的材料と楽観的材料の二つの間で悩んだあげく、結局は人生の本義は神を恐れることにあるという結論に達する」(新聖書注解)と解説します。他方、「本書には思想の統一も論理的順序もない」と極限する学者(ファイファーなど)もいます。

また教師と弟子との対話と考える有力な説もあります。

私は30数年前の神学生時代を思い出します。雑談の時間だったと思いますが、故榊原康夫先生がユニークな説を展開されました。コヘレト書は信仰者と無神論者が、赤ちょうちんで一杯やりながら人生を語り合っている場面なのです。無神論者が「空しい、空しい」と愚痴をこぼすのを、信仰者が「そうだ、そうだ」と相槌を打ちながら聞いている。しかし「人間にとって最も良いのは、飲み食いし、・・魂を満足させること」と相手に同調しながら「しかしそれも・・神の手からいただくもの」と信仰的な面に相手を引きずり込む。無神論者は「神がいてもこの世には悪があり、動物も人間も死んでしまうなんて空しいではないか」と反論します。しかし相手の会話の中には、すでに「神」が前提されているのです。

このようにコヘレトは相手の主張にうなずき同調しながらも、少しずつ信仰的な話題に変えていき「神は天にいまし、あなたは地上にいる」という人生の基本的なスタンスを相手に飲み込ませます。この時代の格言、オリエントの常とう句を用いながら、次第に神の存在を前提する会話となっていきます。

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