書評『クリスチャンであるとは』

論壇:     書評『クリスチャンであるとは』    1/26/2020
壮年会から今年の勉強会で使うテキストを推薦するように言われました。宮澤さんが持ってこられた4種類の本は絶版が多かったので、少し考えましたが、『クリスチャンであるとは』(英語名Simply Christian  N.T.ライト著)が良いのではないかと思います。
ライトは1948年生まれ、2003年から2010年までイギリス国教会第4位の高位教区であるダラム(英国北東部)のビショップ(主教)を務め、現在セント・アンドリュース大学神学部教授です。この人は多くの専門的な神学書を出版し、それらは英語圏の神学校のほとんどで課題図書と指定されています。改革派神学研修所でもここ数年、教師の相互研修でそれらの本の読書会をしてきました。
この本はそのような専門書ではなく、信徒向けに書かれたキリスト教入門書です。東京恩寵教会では婦人会のテキストとして取り上げたことがあると聞きました。ライトは英国国教会の聖職者ですが、特定のプロテスタント教派の立場からではなく、カトリック、正教会なども含めたキリスト教信仰の最大公約数的な核心部分を提示したいという意欲でこの本を書いています。「私の目的は、キリスト教とは要するにどういうものなのかを記述し、信仰を持たない人にはそれを勧め、信仰を持っている人にはそれを解説することにある」。
この本の英米向け原書ではWhy Christianity Makes Sense(なぜキリスト教は理にかなっているのか)という副題がついています。これは現代のクリスチャンに向けられた言葉でもあります。私たちは、聖書は神の言葉であると信じているけれども、それが全体として何を教えているのか明確に言い表せないとか、キリスト者としての自分の信仰と、自分の生きている世界の現実とをどのように関係づけていったらよいのか分からないと嘆く人が多いのではないでしょうか。
ライトは旧新約聖書全体を俯瞰し、聖書に見られる神のわざの全体像を通して語ります。「旧約と新約の歴史の流れに見られる横糸と、そこへの神の介入という縦糸が織りなす絡みを見事に展開しています。」(訳者後書き)。ライトは神学者でありまた歴史学者として、欧米でのキリスト教史もたどりながら、欧米での世界観に支配されたキリスト教の伝統的聖書理解から離れた解釈も展開していますので、その点も興味を引くところです。
尤も「ブルトマン(1884-1976ドイツの批判的新約聖書学者))は、ヘレニズムとの類似性という色眼鏡で新約聖書を読もうとする傾向が強く、ライトはユダヤ教という色眼鏡をかけて聖書を読む」(水草修次)という批判があることも覚えておきましょう。

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