疫病と教会

論壇:          疫病と教会        3/15/2020
中世ヨーロッパではペストによるパンデミックが何度も起こっていますが、有名なものはアントニウス帝のペスト(165-180年、犠牲者推定700万人)、コンスタンティノープル・ペスト(541-542年、全人口の40%が犠牲)、東ローマ帝国崩壊のペスト(1340~、全人口の半分が死亡)。これは後にヨーロッパ全土に拡大し、8000万人から1億人が死亡したと推計されます。1665年のロンドン大疫病では7万人が犠牲になりましたが、翌年の大火災によってロンドン全市が焦土となって終息しました。
これらの疫病に対して、キリスト教会は修道院を中心にして患者の世話をする良い働きもしますが、ユダヤ人を排斥して集団殺戮に向かわせる愚かなパニックも起こしてしまいます。キリスト教会であっても冷静な判断ができなかった罪の歴史があったことを忘れてはなりません。
現代の新型コロナウイルスの流行と、医学的知識のなかった過去のヨーロッパの疫病とを安易に比較することはできませんが、キリスト教会は世間の風潮によって影響を受けることがあってはなりません。私たちの信仰にとって最も重要なものは主日の礼拝です。いかなる理由によっても礼拝を中止して良いはずがありません。しかしそれに出席するかどうかは個人の判断に任せて、教会側から中止を打ち出す必要はないでしょう。
もちろんその集会の持ち方については知恵が必要です。会場の消毒は徹底せねばなりません。また説教時間を安易に短縮することはできなくても、礼拝プログラムを再考しても良いでしょう。愛餐会を見直すことも必要です。しかし多くの教会がしているように、週日のプログラムを全部やめる必要はないでしょう。祈祷会や聖書の勉強会、読書会は自主的なもので、数人が集まるに過ぎないのです。
初代教会の時代、キリスト教が爆発的に進展していく一方で、キリスト者の諸集会から身を引いてしまう信者たちも出てきました。その理由や動機は、怠惰、倦怠感、迫害、家族への遠慮など様々なものがあったでしょう。礼拝は一度休むと次に休むのが容易になり、欠席しても良心が痛まなくなります。
ヘブライ書の著者は「互いに愛と善行に励むように心がけ、ある人たちの習慣に倣って集会をやめたりせず、かえって励まし合いましょう。かの日が近づいているのを見て、ますますそうしようではありませんか。」と訴えます(ヘブライ書10:25)。集会をやめることが当たり前になってしまう、習慣になってしまうという「慣れ」に対して私たちは警戒しなければなりません。公的礼拝は私たちの都合で集まるものではなく「神の招き」によって招集されるものだからです。

pagetop