申命記

論壇:          申命記          10/6/2019

モーセ五書最後の申命記は、モーセの三つの遺言説教を中心に構成されています。

第1説教=1:6-4:43

第2説教=4:44-26:19

祝福と呪い=27:1-28:68

第3説教=28:69-30:20

結語=34:9―12

モーセは約束の地カナンを目の前にしましたが、そこへ入ることを許されませんでした(民数記20:12、申命記32:50―52)。40年もの間荒野で苦労して民をここまで導いて来たのに、そのリーダーであったモーセも、兄のアロンも、姉のミリアムも約束の地に入れず、モーセは120歳で死に、アロンは123歳で死に(民数記33:38、39、申命記10:6)、ミリアムも約束の地を前にして死にました(民数記20:1)。

ヨルダン川を前にしてモーセは「どうか、私にも渡って行かせ、ヨルダン川の向こうの良い土地、美しい山、またレバノン山を見せてください」と頼むのですが、主は「もうよい。この事を二度と口にしてはならない」と、祈ることさえも禁じられました(申命記3:23―27)(参照:拙著『旧約聖書の歴史』「神の聖なることを示せ、67頁」)。

申命記はモーセが日々書き留めていた日記を元にして、またモーセ語録、モーセ行状記によって編集されていますが、モーセの葬式の話もありますから(申命記34章)、後の誰かがこれらを材料にして編集したのでしょう。その時期がいつだったのか、学者によってBC14世紀から6世紀まで、様々な学説があります。古代(AD4世紀)教父のヒエロニムスやクリュソストモスなどは、列王記下22:8に登場する『律法の書』が申命記だったろうと推測しています。この書は神殿修復工事の際に祭司ヒルキヤが発見したもので、ヒゼキヤ王はこれによって宗教改革したと書かれています(BC622年、列王記下22、23章)。

本日の説教テキストでは「近くにおられる神」、「何の形も見なかった神」すなわち「どこにでもおられる神」、十戒を民に与えて、動物とは違う聖なる生き方をせよと、ていねいに繰り返し教える人格的な神が教えられます。この方を愛しこの方に忠実に従えとモーセは命令します。

申命記には、偶像礼拝が蔓延していたエジプトから導き出されながらも、再び偶像に満ちあふれたカナンに入って行くイスラエルに対して、偶像礼拝を徹底的に嫌われる神の警告が鳴り響いています。

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