待降節(アドベント)

論壇:        待降節(アドベント)        12/1/2019

アドベントの語源はラテン語Adventus(アドベントゥス、到来)で、キリストの到来(降誕)を意味するようになりました。クリスマスは12月25日ですが、この日まで4回の主日を教会ではアドベントと呼びます。

キリスト教会ではいつの頃からか、常緑樹の葉で丸く作ったクランツ(冠)に4本のろうそくを立て(アドベント・クランツ)、第1主日に一本、第2主日に2本…と、毎週一本ずつ灯火を増やしていくという習慣ができました。キリストの降誕が次第に近付いてくることを目で見て感じさせる視覚教育です。クランツ(冠)はキリストの王権を表わします。

ハロウィンと感謝祭の区別も分らない日本の商店街では、11月末からクリスマスの飾り付けを始め、12月25日が終わると一斉に正月飾りに模様替えします。しかし本当のクリスマスシーズンは12月25日から1月6日の顕現日までです。顕現日とはイエス誕生時に異邦人の占星術の学者たちがイエスを拝みに来たことに由来します(マタイ2章)。

聖書にはキリストの誕生日は書かれていません。初代教会ではキリストの復活を宣べ伝えることが中心で、イースターの行事は最初からありましたが、クリスマスが祝われるようになったのは4世紀からです。真の神であり真の人間だった(二性一人格)キリストの神性の教理は教会ですぐに理解され受容されましたが、人性の教理が確立するのは325年のニカイア会議まで待たねばなりませんでした。真の人となるために生まれてくださったキリストの人性の理解ができ、誕生日への関心が出てきたのです。

当時のヨーロッパでは冬至の祭りが行われていました。冬至の2~3日後には昼間の時間が長くなったことが体感できますので、冬至の祭りは、死んでいく太陽がよみがえる「太陽の祭り」で、これが12月25日頃でした。異教の祭りであったこの日を、キリスト教会はキリストの誕生日として人々に再解釈させたのです。それはマラキ書に「義の太陽が昇る」(3:20)とありますので、義の太陽=キリストと教えやすかったのでしょう。

「12月25日をキリストの誕生日とする根拠はない。なぜなら羊飼いたちは冬には野宿しないからだ」と声高に批判する人々がいます。これは物事の一面しか見ていません。聖書は誕生日に全く関心がないのですから、キリストの誕生日はいつでも良い、というのが一つ。しかし当時のエルサレムでは、神殿にささげる羊は真冬でも野外で放牧される例外があったのです。それなら通常の羊飼いとは違い、真冬でも野宿をしなければならなかった、もっと過酷な仕事に従事させられた羊飼いたちにこそ、神は御子降誕のニュースを真っ先に知らせたのでしょう。

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