メシア預言

論壇        メシア預言          12/17/2017

待降節の3週目になりました。今週は旧約聖書に書かれたメシア預言を瞑想しましょう。資料として週報に添付したものをご利用ください。

このメシア預言一覧表を見ていて気がつきました。それは、メシア預言は詩編、イザヤ書、ゼカリヤ書に多いことです。その内容の多くは、イエスの生涯それも十字架の場面に関するものが多いことが特徴です。

詩編のメシア預言がなされた年代はほとんど分かりませんが、これも十字架の場面に関するもの、それも私たちにとっては、小さなエピソードに過ぎないと思われるような事柄に関しています。たとえば十字架上でイエスが渇きを覚えた時、苦い酢が提供されたこと、ローマ兵がくじを引いてイエスの衣服を取りあったことなど。このような細かい出来事に関する預言が数百年前に予告されていたことは不思議なことです。それほどまでに、イエスの十字架に注目させたいということなのでしょう。

イザヤ、エレミヤ、エゼキエル、12小預言書にあるメシア預言の多くは、イスラエル国家が危機に直面している時に、預言者の説教によって発せられました。つまり紀元前721年、北王国がアッシリア帝国によって滅びることに関しての警告、また紀元前587年、南王国がバビロンによって滅びることの警告でした。

考えてみますと、平穏無事な時に「遠い将来にメシアが来られる。この方は全世界の王で、すばらしい神の国を実現するために来られる。しかしこの方を指導者たちは喜ばず、無残に殺される」。そんなことを説教しても、誰も真面目に聞いてくれなかったでしょう。しかし国家存亡の危機、明日の生活もどうなるか分からない。外国の軍隊がエルサレムを取り囲んでいる。そのような世情なら聞いてくれるかもしれません。だからこのような時代背景の中でメシア預言がなされたのでしょうか。

そうかもしれません。確かに未曾有の危機にある時には誰もが未来を真剣に考えると思われます。しかしイスラエルの歴史を見ますと、それほど単純ではありませんでした。危機を叫ぶ預言者よりも安泰を保証し、明るい未来を語る偽預言者の方が喜ばれたのです。誰も暗い未来や神の審判の恐ろしさを聞きたくなかったのです。

預言者たちは、なぜ破滅が来るのかということの原因、つまりイスラエルの罪を指摘しました。偶像礼拝、社会正義のなさ、富の不平等、安息日を平気で破ることなど、これらの罪に対する神の報復が根本原因であると説教したのです。しかし同時に救い主が来られることも告げて心ある者たちへの慰めも語ったのです。

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