ヒストリー

論壇:        ヒストリー         5/24/2020
世の中には客観的かつ正確な歴史記述などというものはありません。どこの国でも民族でも、自分に都合の悪いことは削除するか改ざんするからです。また為政者側からの目から見たものばかりで、民衆の側からの記述がないのも共通です。誰でもある思想的前提、価値観をもって歴史を編むのです。従って例えば戦争についての客観的な事実を知りたければ、戦勝国と負けた方の両方の言い分を調べなければなりません。現代社会でも、ある事件が起きた時の報道を見ると、新聞によって事実関係すら間違って書かれる場合があります。冤罪を生む原因の多くはマスコミによって作られることがあるのです。
さて聖書は、歴史上の出来事を信仰によって解釈したものです。従って歴史の背後にすべてを支配しておられる神の手を意識しながら記述編集しています。HistoryとはHis(神の)Story(物語)なのです。
このことが分かりますと、歴史上の大きな民族移動、イスラエルの出エジプト(BC11~13世紀)、エーゲ海にいた古代海洋民族ペリシテのカナン上陸(BC12~13世紀)、バビロン東方にいたアラム人の西方大移動(BC13~14世紀)は、この世の歴史観では全く別物ですが、聖書では「私はイスラエルをエジプトの地から、ペリシテ人をカフトル(クレタ島)から、アラム人をキルから、導き上った」(アモス書9:7)というスケールの大きな神の宣言となるのです。
聖書ではすべてを支配しておられる神の手による歴史を「救済史」と呼びます。旧約聖書では神の存在と人間の関係、歴史の中に神がメシア(救世主)を派遣する約束が書かれました。この預言のとおり、キリストが受肉して地上に来られ、生ける神を自らによって示し、十字架において選民の罪を贖う救済のわざを成し遂げられ、復活によって死に勝利したことを宣言され、昇天によって神の右の座に着座されました。そして今は選民の祈りを、父なる神に有効に執り成してくださっています。
現代という時間は、神の国完成に向かって「御国が来ますように」(マタイ6:10)と祈る選民の自覚的参加が用いられ、神の国はキリストの再臨と審判によって地上にもたらされます。私たちは今、神の救済史(メシア派遣の約束、受肉、十字架、復活、昇天、再臨と審判、神の国完成)の中に存在し、地上で自分に与えられた使命をそれぞれの賜物に応じて果たしています。今日もクリスチャンであることを喜び証ししましょう。

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