論壇: コヘレトの言葉 2 7/11/2021
先週のコヘレトの言葉の説教で「人間の霊は上に昇り、動物の霊は地の下に降ると誰が言えよう」(3:21)について、「天国では死んだペットに再会できないのですか」という質問がありました。この文章について他の日本語訳聖書を参照します。
「だれが知るか、人の子らの霊は上にのぼり、獣の霊は地にくだるかを」
(口語訳)
「だれが知っているだろうか。人の子らの霊は上に昇り、獣の霊は地の下
に降りて行くのを」(新改訳2017年版)
「誰か人の魂の上に昇り獣の魂の地にくだることを知(しら)ん」(文語訳)
「人の子らの息が上へ上り、動物の息が地に降ると誰が知るだろうか」
(共同訳2018年版)
これは18~20節にある不信仰者のセリフ「人間も動物も死ぬことにおいて何の変わりもない。人間は動物に何らまさるところはない」を信仰者が否定している文脈でのセリフです。
信仰者が言いたいことは、人間と動物の霊は違う、両者の死後の行先が違うということです。人間の霊は上に昇るとは天国に行くという意味ではなく、「霊は与え主である神のもとに帰る」(12:7)という意味です。そしてそこで死後の裁きを受けます。
人間は「その鼻に神の息が吹き込まれて」(創世記2:7)造られました。しかし動物の霊は「地は、それぞれの生き物を生み出せ」(創世記1:24)という神の命令によって生み出されたのです。従って動物の霊は地に留まるのです。人間と動物は神の目から見て全く価値が違うのです。
しかしこのことから「天国には動物はいない」という教理を導き出してはいけません。聖書は天国の住民の中にどのような動植物があるか何も教えていないからです。ただしパウロは「被造物も、いつか滅びへの隷属から解放されて、神の子供たちの栄光に輝く自由にあずかれる」(ローマ書8:21、22)と言っていますから、私は天国で、かつての我が家の飼い犬ピコにも、現在の猫のチコにも会えると期待しています。しかし聖書が明瞭に書いていない事柄について、あまり詮索するのは禁物です。
コヘレトの言葉はあくまで技巧を凝らした知恵文学の作品です。このジャンルの文章や詩編から教理を導き出すことは避けるべきです。聖書は人間の霊と動物の霊は全く異なるのに、どちらにも「霊」(ヘブル語=ルーアッハ)を用いています。「命」「霊」「風」「魂」「息」「聖霊」についても明確な定義をしていませんし、相互互換的に用いています。