論壇: 宗教改革と信仰問答 10/29/2017
10月31日は宗教改革記念日で、さらに今年は500周年記念日です。今から500年前の1517年10月31日、マルティン・ルターがドイツのヴィッテンブルク城教会の扉に、ローマ・カトリック教会の免罪符に反対する95カ条の提題を掲示したことによってヨーロッパの宗教改革は始まりました。今年の10月31日にはこの教会で、バチカンと世界ルーテル連盟が記念の合同礼拝をすることが決まっています。
宗教改革の背景には印刷技術の発明があります。1439年頃、グーテンベルクは活版印刷術を発明し、最初の聖書「グーテンベルク聖書」(ラテン語)を1455年に印刷出版しました。思想家たち、宗教家たちは自分の考えを、この印刷技術によって広く世界に問いかけることができたのです。
ルターは当時の一般民衆だけでなく、牧師たちまでもがキリスト教について無知であり、主の祈り、十戒、使徒信条さえ唱えることが出来ない有様を見て教理を教える必要を痛感しました。そして大人向けに『大教理問答』を、また子供向けに平易な言葉でキリスト教の要点を書いた『小教理問答』を1529年に出版しました。『小教理問答』の日本語訳は1951年に出版されましたが、2014年に改訂版が出ました。『エンキリディオン(キリスト者必携)小教理問答』という書名で現在手に入ります。
『小教理問答』は冒頭で「牧師たちは教えることがほとんどできず、熱心でもありません」と苦言を述べ、十戒、使徒信条、主の祈り、聖礼典の解説をします。さらに親切にも朝夕の祈りのサンプル、結婚式文、幼児洗礼式文を添付しており、子どものための問答書と言いながら、牧師たちの実際の手引き書にもなっています。
カルヴァン(1509-1564)は『キリスト教綱要』を1536年に出版しましたが、「綱要」のラテン語の意味は「手引き」「教授」ですから、キリスト教の教理を正確に教育したかったのです。またカルヴァンは子ども向けの教理教育書『ジュネーブ教理問答』を1542年に出版しました。これは問が373問もある詳細なものです。
ルターの宗教改革が進展しますと、ヨーロッパの領主たちはカトリック教会かルター派教会かという選択が出来るようになりましたが、カルヴァンの改革派教会はまだ認められず、従ってドイツでは聖餐式の考え方、教会制度のあり方についても神学論争が絶えませんでした。1563年、改革派信仰に立った『ハイデルベルク信仰問答』がフリードリッヒ3世侯爵主導のもと、オレヴィアヌスとウルジヌスによって書かれました。宗教改革とは信仰教育の改革です。これは信仰問答、信条作成という具体的な成果によって具現化し、今日まで継続されています。
(フリードリッヒ3世という名前は何人もいるので注意。ドイツ王、神聖ローマ皇帝、ドイツ皇帝・・・など。ハイデルベルクのフリードリッヒは他と区別して特に「敬虔王」と呼ばれます。)
論壇: エンキリディオン(小教理問答)について 11/19/2017
先週行われた東部中会教会教育研修会の私の講演で、ルターが書いた『エンキリディオン(小教理問答)』を紹介しました。エンキリディオンとは必携、手引き、ハンドブックなどと翻訳されます。この言葉はギリシャ語ケイル(手)に由来し、語源は短剣と言われます。古代では護身用短剣を身につけることは必須であり、身分を示すシンボルでもありました。そこから必携(必ず身につけているもの)という意味になりました。
これは一般用語ですから、古代から様々なジャンルでこの表題の本が出版されました。有名なのはエピクテートスの「ストア派倫理学マニュアル」(2世紀)、ポンポニウスの「ローマ法大全」(2世紀)、アウグスティヌスの「キリスト者の敬虔小論文」(420年)、エラスムスの「キリスト教戦士の手引き」(1501年)などがあります。
ルターは子供の教育用にこれを書きました。内容は十戒、使徒信条、主の祈り、聖礼典の解説のほか、朝夕の祈り、食事時の祈り、結婚式文、幼児洗礼式文などで、子供向けの教理問答書でありながら、実際に牧師が用いるマニュアルにもなっています。
十戒の解説の問答はこのようになっています。「第1の戒め、あなたは他の神々をもってはならない。」「これはなんですか。答:私たちはすべてのものにまさって神を畏れ、愛し、信頼するのだよ」。そしてすべての答において、「私たちは神を畏れ、愛するのだ」という言葉を冒頭に置いています。ルターにとって十戒の要約は神を畏れ愛するということなのです。
主の祈りの第4の願い「日用の糧を今日与えてください」の解説が面白かったのでご紹介します。「毎日のパンとは何ですか。答:体の栄養と維持のために必要なすべてのもの、すなわち食べ物、飲み物、衣服、履物、家、屋敷、畑、家畜、お金、財貨、ちゃんとした家族、ちゃんとした真実の支配者、よい政府、よい気候、平和、健康、規律、名誉、よい友人、忠実な隣人などだよ。」
私がこの箇所でいつも解説しているように、日々の糧が食卓に届くためには、飢饉がないこと。農地から都会への運搬手段、ガソリンの供給がある(すなわち戦争がない)いう物理的なことのほかに、体が健康であること。家の中に平和があること(なければ食事ではなく単なる「えさ」を食べるだけ)などと説明してきました。ルターは支配者、政府という要素もこの願いの解説に加えています。当時の政治世界が暗黒状態であったということが読み取れます。
論壇 『放蕩息子の帰郷』 12/3/2017
11月19日の論壇で「エンキリディオン」(必携、マニュアル)の語源は短剣だと書きました。古代では護身用の短剣を身につけていることが必須で、短剣は身分を示すシンボルでもあったと説明しました。さて、インターネットでこの言葉を検索していて、下記のような記事を見つけました。著者はルーテル教会の女性牧師です。
「私たちはエンキリディオンがキリスト者の命を守る短剣であることを、レンブラントが描いた“放蕩息子の帰郷”の絵の中に見ることができます。ぼろぼろのいでたちの息子が腰に携えている、惨めさとは対照的なほど立派な短剣です。そして、この短剣こそがエンキリディオンなのです。信仰深かったレンブラントは、短剣・エンキリディオンを、父の子であることを思い起こさせ、真理を保ち続けるものとして、息子の身に帯びさせたに違いないのです。だからこそ、放蕩の限りを尽くした息子は父のもとに、再び帰ってくることができたのだと。」
レンブラントは多くの「放蕩息子」を書いていますが、晩年に書いたこの作品が最高と評価されており、現在はエルミタージュ美術館にあります。私は気がつかなかったのですが、確かに息子の腰の右に、高価な短剣が描かれています。…実はこのことを最初に言い出したのはヘンリ・ナウエンというカトリックの司祭で、著書『放蕩息子の帰郷』でこう言っています。「放蕩息子は…すべてをはぎ取られた人の姿だ。剣を除いて…たった一つ、彼の人間としての尊厳のありかを示すのは腰に下げた短剣――高貴な生まれのしるしだけだ。…自分はあの父親の息子だという真理を彼はしっかり握っていた。そうでなければ、息子であることのシンボルの貴重な剣を売ってしまったことだろう」(62頁)。
もちろんこれはレンブラント作「放蕩息子」の解説であって、聖書の解説ではありません。ここまでレンブラントの心情を読み取る(?)ことのできる慧眼には感服します。しかしこれはイエスが語った譬え話「放蕩息子」の解説にはなりません。聖書を読んだレンブラントの信仰の解説です。聖書の話では放蕩息子は「何もかも使い果たした」(ルカ15:14)のです。
ナウエンがこの絵と出会ってから本を書くまで9年の歳月がかかっています。その間ナウエンはずっとこの絵を考え続けていました。この集中力には感嘆します。絵の解説とナウエンの信仰を知る上では大変面白かったので、この本を教会に献本しておきます。お読みください。