ヨハネ7、8章では、仮庵祭でのイエスを、様々な人々が取り巻いて登場します。これらの人々とイエスとの異なった会話を、ヨハネは時系列で書いたというのではなく、イエスが語った様々な議論、説教の記憶を全部総合して、自分の構想によって口述速記させているのです。ヨハネにとってはもう70年以上前の出来事です。一つのきっかけから、様々なことを、風景、セリフ、匂いなどと共に、一気に思い出すこともあったでしょう。イエスが言われた「私は命のパンである」「世の光である」「良い羊飼いである」「門である」「道である」「復活であり命である」。これらのキーワードを思い出すたびに、ヨハネは在りし日のイエスの姿を生き生きと思い出し、究極のイエスの言葉、「わたしはある」を読者に伝えようとしました。
私も過去60年間を一気に思い出すということを先週経験しました。それは新会堂建築の棟上げの時、屋根の巨大な梁を、大工さんたちが電動式のチェーンブロックを使って持ち上げていたのを見たことがきっかけです。
60年ほど前、ある農家が畑一面に植えてあった、高さ2mほどの桑の木を取り囲んで三脚を立て、頂点から手動式のチェーンブロックを吊るして抜いていました。当時は蚕によるシルク生産がナイロン全盛によって衰退し、桑畑からさつまいも畑に転用するために桑の木を撤去していたのです。私の家も農家で、納屋で「おかいこ様」を飼っていました。何段にも仕切られたかいこ棚に、毎朝新鮮な桑の葉を与えます。その時のシャリシャリと食べる音、蚕の臭い、葉の匂い、桑いちごが一気によみがえってきます。また当事流行った反戦歌「桑畑」も思い出しました。この歌は1956年10月の米軍基地拡張に反対し断念させた砂川闘争から生まれ、歌声喫茶で盛んに歌われました。
桑畑の しげる葉は 亡き母の 背に負われ
苗植えた 昔から とぶ鳥さえ なじんでたが
桑畑は 今荒れて 爆音は ワラ屋根に
裂ける程 たたきつけ 桑畑は 吹きさらし
桑畑は 握りこぶし 振り上げて ならび起ち
畑守る この私と 芽ぐむ春を もとめうたう
春になったら 枝を伐り かおる葉を カゴにつもう
むく鳥よ 高く舞い このよろこび 告げてくれ(作詞 門倉訣)
そして私にとっては、60年安保闘争、ベトナム戦争、上京して受けた洗礼、
70年安保闘争時代の青春、横浜港で長く続いた沖仲仕、就職、倒産、起業、結婚、異臭のタイ・カンボジア国境の難民キャンプでのボランティアの苦い思い出、献身、所沢での牧師就職、横浜西口教会転任と続きます。