聖餐論の現代的諸問題

聖餐論の現代的諸問題

2001年6月 大会役員修養会での講演(2009年5月データ補完)

憲法委員会第三分科会委員 立石章三

 

この小論では、宗教改革以来の伝統的な論争点「パンとぶどう酒がいかにしてキリストのからだと血になるのか」という「袋小路に陥っている論争」(『現代の聖餐論』)を扱うのではありません。諸教会の聖餐式は今、無制限陪餐(未受洗者の陪餐)と、幼児陪餐(信仰告白前の陪餐)へと大きく傾いていきつつあります。この流れの変化はどこから、どのような理由によって起きてきたのでしょうか。

 

世界教会協議会(WCC)は、ローザンヌ会議(1927年)以来、「聖礼典」の研究を提唱し、それは数回の会議を経て、ペルー共和国首都リマで行われたリマ会議(1982年)において『洗礼・聖餐・職務』というレポートを発表しました。これは1983年、WCC第6回会議において満場一致で採択され、通称『リマ文書』として世界に紹介されましたが、特にその聖餐論は世界の諸教会に大きな影響を及ぼしました。

『リマ文書』では、エキュメニカル(教会合同)運動におけるキリスト教諸教派の見える一致を、教理的な一致ではなく、社会倫理的一致、宣教論的一致に求めました。ここから聖餐理解にも幅広い視野、すなわち倫理的視野と宣教論的視野が導入されたのです。聖餐における主の現臨を、個人的あるいは礼典的に理解するのではなく、この世界に対する神の宣教に参与する教会の宣教のわざと表現しました。

『リマ文書』は聖餐の神学的意味を、聖書にしばしば登場するイエスの食事の場面と結び付けて次のように述べています。「イエスは5000人の給食において神の国の近さを示し、最後の食事を十字架の苦しみと結び付けて教え、復活後は自らの存在をパンを裂くことによって表した。このように聖餐は、イエスの地上においても復活後においても繰り返される、神の国の食事のしるしである。…聖餐の意味は、神のわざへの感謝、キリストの記念の想起、聖霊を求める祈り、信徒の交わり、神の国の食卓である。…また聖餐は教会全体によって守られねばならない。」

『リマ文書』はまた、教会が信仰共同体であることを強調します。教会の子どもたちや知的障害者たちを(さらに教会外の虐げられた人々、弱者をも)、陪餐許可の対象としてではなく、神の家族としての教会共同体の大切なパートナーとして、教会論的視野から捉えるという「開かれた」考え方も打ち出しました。さらに「幼児洗礼を受けた子どもが、別個に設定されたもう一つの儀礼を経なければ陪餐を許さない諸教会は、バプテスマの真の意味を良く考えてみなければならない」と指摘します。また『リマ文書』はリタージー、教会の一致を表す聖餐を重視します。またカトリック教会との折衷として、聖餐を讃美のいけにえと理解します。

 

Ⅰ、三つの大きな変化

アナムネーシス(想起)の内容の変化

聖餐式には「主の贖いの死を記念する」アナムネーシス(想起)と、天国における喜びの宴会の前味(ユーカリスティア=感謝)という二つの重要な意味があります。この第1の「想起」の内容について、これはイエスの十字架という、あの限られた場面だけなのか、という疑問が提出されました。

聖餐は第1に、イエスが「わたしの記念としてこのように行いなさい」(ルカ22:19)と言われた「主の死を記念」することです。私たちは「私たちの罪のために十字架の上で死なれた贖い主を信仰の目をもって見る」(式文)のです。ウェストミンスター大教理問答が言うとおり、主の晩餐によって「彼の死が示される」(問168)のですから、聖餐を受ける者は「主の死とみ苦しみとを情愛深く瞑想」しなければなりません(問174)。これが想起するということです。これは深く「私」の信仰の内面に関わることです。私はこの聖餐に与かるにふさわしい者だろうかと「自分の罪と欠陥について…新しい服従について…瞑想」(大教理171問)し、「謙虚にせられ」る(175問)のです。しかし現代という時代は信仰の個人主義化を許しません。エキュメニカル運動は世界教会合同運動とも呼ばれますように、キリスト教の社会的プレゼンス拡大という大きな潮流の中にあります。

 

WCCの聖餐論研究によって、聖餐は主の死を想起するだけではなく、キリストの受肉から生涯、十字架、復活、昇天、ペンテコステまでのすべてが想起されるべきとなりました。さらに、キリストの教え、行動という、キリストの生涯全体に対する想起へと発展しました。特にイエスが生前に取税人や罪人と共にされた食事へと焦点が移され、ついに「キリストは罪人を招いて共に食事をされた。だからキリストが制定し、キリストが招いておられる聖餐式において、信者でないという理由で出席者を排除するのは、キリストの招きを教会が拒むことである」と主張する人々が現れ、日本キリスト教団のかなりの教会に現在見られるような「無制限陪餐」という現象になりました。

この考えがユーカリスティア(感謝)の強調と結び付きました。この感謝は「わたしたちが神を賛美する賛美の杯」(Ⅰコリント10:16)であるから、私たちは聖餐式において、独り子を与えられた父なる神のみわざに感謝するというのです。リマ文書ではさらに「聖餐は、すべての被造物を代表して教会が表現する賛美のいけにえ」と規程されました。

結局、聖餐式の強調点はアナムネーシスからユーカリストへと移行したのです。聖餐の起源は、十字架の死ではなく共同の食事であると規定されました。罪人を招いて宴会をしたイエス、奇跡のパンを5000人にふるまったイエスに倣うなら、一般人の聖餐式を拒むことができない。これが大きな変化の第1のものです。

 

宣教論的アプローチによる聖餐理解の変化

日本基督教団では、宣教研究所編『聖餐』(1987年)が問題を提起しました。一つは宣教論的アプローチからの未受洗者陪餐という問題です。「日本の教会、特に田舎の教会では、礼拝に出席するという行為事態がすでに信仰告白である。神の恵みの贈り物としての聖餐式を宣教論的にとらえるなら、聖餐への招きをしておきながら、信者と未信者を区別するのは差別である」というものです。

二番目は子供の信仰教育の観点からです。今までの教会の子供たちは「幼児洗礼 →信仰告白 → 陪餐」という信仰成長過程を取ってきました。しかしこのプロセスは、次のように革命的に変化します。「聖餐式陪餐による神の恵みの授与(先行する恩寵)→ 聖餐を体験する → 信仰が芽生える → 信仰告白」。これが本来の教会の信仰教育ではないか。このように主張され始めたのです。

 

1983年、日本キリスト教団では「教会・教職・聖礼典の諸問題を…伝道的課題との関連において、根源的、批判的に検討」を開始し、その結果、未信者にも、幼児洗礼を授け、信仰告白していない小児にも、聖餐に与からせる教会が増えてきました。

1986年、日本福音ルーテル教会では「洗礼を受けている者は、堅信を受ける以前であっても、聖餐に与かることができる」と決議しました。

 

三番目はリタージー重視論です。これはエキュメニカル運動からの影響を受けたものですが、礼拝を今までの説教重視から典礼(儀式)重視にすべきであるというものです。礼拝は復活の主との公的会見であるのだから、神の見えるわざとしての聖餐式を礼拝の中心に据えるべきであるというものです。ここから聖徒の交わりの根源としての聖餐式のコンミュニオン(交わり)の要素がいっそう広がると主張されました。

 

「Missio Dei」(神の宣教)の視点からの聖餐理解(『現代の聖餐論』からの提起)。

「神は教会を媒介として、世界に働きかける」という考え方は、西欧の植民地化運動と平行した考え方であり、この考えは「神は教会だけを通して、世界に働きかける」と変化し、西欧世界が異邦世界に「教会を植え込む」考えの背景となっていました。この考え方は従来の宣教論の枠組みでしたが、キリスト教がアジア、アフリカ諸国に広がっていくにつれ、このような従来の固定した考え方では、世界宣教には行き詰まりが出てきたのです。そこで導入された新しい考え方は、「神の愛と和解の働きかけはまず世界に向けられている。この神の働きに参与することが教会の宣教にほかならない」というものです。この人々が好んで引用する聖句は、「神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された」(ヨハネ福音書3:16)、「神はキリストによって世を御自分と和解させ」た(Ⅱコリント5:19)などです。この考え方が聖餐にも新しい視野を与えました。

 

「神の国の食事としての聖餐という終末論的意味において、聖餐と宣教との関係は本質的にとらえ直されねばならない。神のわざが働く順序は「神 → 教会 → 世界」ではなく、「神 → 世界 → 教会」なのである。従って聖餐はこの世における証しへの派遣としてとらえねばならない。この世のあらゆる人を、その信仰を問うことなくまず聖餐式に招き、共に祝うのである。そこから神が信仰へと導かれた人々を、教会が収穫として刈り入れる。これこそが教会を用いてなされる神のわざとしての宣教である」。この考え方は、今までの宣教論とは全く異なる枠組みとして登場しました。

しかし「御子を信じる者」(ヨハネ福音書3:18)は教会の宣教によって誕生するのであり、「和解の言葉はわたしたちに(教会に)ゆだねられた」とあるように、この聖句の前後を無視して、都合の良い個所だけを引用してはならないでしょう。

 

Ⅱ、CRCにおける幼児陪餐問題

CRCでは1984年から幼児陪餐問題が議論され、1988年の総会では、信仰告白をしていない未陪餐会員が聖餐式に与かる事を否定はしましたが、大人に要求される信仰告白とは異なる、子供のための信仰告白の可能性が議論されました。1995年には次の二つのレポートが提出されました。

 

A、聖餐の意味をわきまえることのできる子供は、聖餐式に与かってもよい。未陪餐会員は10代の終わり又は20代始めまでに、下記の二つの信仰の告白が求められる。

①最初に、初歩的なキリスト教教理に同意する。 → 陪餐可能。

②次に、CRCの採用する信条への同意を表す。 → 選挙権を与える

このレポートでは、簡素化された改革派信条の公的位置付けという問題が生じました。

B、子供は信仰告白なしで、すべて聖餐式に与からせるべきである。

理由:契約神学において、幼児洗礼は割礼に代わるものとなった。それなら、過越の食事に代わったものが聖餐である。また教会史においては、幼児陪餐が長く行われた事実がある。

この立場は、信仰告白なしで陪餐を承認するということではなく、自覚的信仰告白がなくても、信仰共同体の信仰のゆえに与からせるべきであるという考えです。

この二つのレポートの提出によって議論は沸騰しましたが、主な議論点は、聖餐に与かるための神学的根拠は、個人的信仰告白か、それとも信仰共同体としての信仰告白かという点でした。この二つを対立的にとらえる考え方と、両者を矛盾するものではないととらえる二つの考え方があり、結果的に、レポートAとレポートBは、ともに等しい賛同者(小会)を得ましたが、ABの両方を拒否する小会も有力数ありました。

この問題が起こってきた背景は何でしょうか。それはCRCの教会では、18才を過ぎても信仰告白しない子供が大変多いという事実です。データを見てみましょう。

 

1995年        2005年

陪餐会員(18才以上):187,868人       186,661人

〃 (18才未満): 7,554人        7,992人

未陪餐会員(幼児洗礼のみ):106,311人        86,559人

別帳会員20,039人

 

この傾向はますます強くなっているようです。このためCRCの助言委員会は子供たちが陪餐に至る4段階の信仰告白を推薦しました。

①子供が聖餐式に興味を抱き、両親、CS教師らにその気持ちを表現する。

②両親は聖餐式の意味について子供と話し合い、子供の心に働く聖霊のわざを認めるなら、教会の長老または牧師に連絡する。

③長老または牧師は子供と会見し、礼典、使徒信条、十戒、主の祈りについての初歩的な説明を終え、小会に推薦する。

④小会は公的礼拝の場で、年齢にふさわしい初歩的な信仰告白をさせる。

 

 

 

 

Ⅲ、私たちの課題

『リマ文書』が発表されてから、日本キリスト教団の教会を中心に、子どもの陪餐、無制限陪餐を採用する教会が増えてきました。しかしあれから23年がたった今日、日本キリスト教団では、無制限陪餐に反対する出版物も出され、長老会などでもこの問題は講演会や勉強会などによって、全国的に批判検討されています。しかし受洗者と未信者との「区別」を「差別」と捉える「開かれた教会」体質が、どのような神学(哲学)から来ているのか、私たちは識別しなければならないでしょう。彼らの宣教論的、社会的視野が聖餐をどのように規定したのか、考えてみなければなりません。

 

イスラエルが守ってきた過越の食事は、出エジプトの想起でした。過去の出来事を想い起こし、それを現在化することによって、イスラエルの民は、信仰によってあの時自分も出エジプトしたのだと信仰告白したのです。この過去の現在化に加え、イエスは最後の晩餐のとき、「わたしの父の国であなたがたと新たに飲むその日まで」(マタイ26:29)という言葉によって、またパウロも、「このパンを食べこの杯を飲むごとに、主が来られるまで、」とこれを未来化し、私たちにくりかえしこれを守るようにと教えました。聖餐式において、過去と未来が現在化しているのです。従って私たちは聖餐を終末論的に解釈し、神の国の喜びの食卓の前味として理解します。この点はリマ文書の言うとおりです。しかしそのことと、十字架の苦しみの想起とは、バランスを取って理解しなければならないでしょう。どちらにウェイトがあるのでしょうか。

 

喜びの食卓にウェイトがあるなら「通りや小道に出て行き、無理にでも人々を連れて来て、この家をいっぱいに」(ルカ14:23)しなければならないでしょう。イエスはメシア的な晩餐について「東や西から大勢の人が来て、天の国でアブラハム、イサク、ヤコブと共に宴会の席につく」(マタイ8:11)と言われました。またバックハートの言うように、「四福音書の中で本当に注目しなければならないことは、イエスが飲み食いしたという事実ではなく、イエスのそうした行為を記録することに非常に大きな注意が払われているという点である」(『礼拝とは何か』)、ということも考慮しなければならないでしょう。

しかし十字架の想起がまず第1に想起されねばならない、より重大なことであるならば、私たちは聖餐の意味を十分に理解した上でこれに与からねばなりません。「主の体のことをわきまえずに飲み食いする者は、自分自身に対する裁きを飲み食いしているのです」(Ⅰコリント11:29)。

私たちは宗教改革諸文書をいつでも学び直すことが必要です。アナムネーシスは第1に十字架であるべき(ウ大174)です。(キリスト教綱要Ⅳ:14、17章、第二スイス信条19、21章)。未受洗者の陪餐の可能性を探る姿勢は、贖罪信仰を希薄にすることにつながります。

次に原始教会の知恵に倣うべきです。原始教会は愛餐と聖餐を分離しました。またユダヤ教が喜びの過越の祭りを祝っている最中は断食し、彼らの食事と混同しないよう配慮したのです。聖餐における神の国の宴会の前味を、この世の食事の喜びと一緒にすべきではありません。「神の国は飲み食いではなく、聖霊によって与えられる義と平和と喜びなのです」(ローマ14:17)。

聖書の釈義については「ふさわしくない」、「主のからだをわきまえる」(Ⅰコリント11:27、29)とは何を意味するか、まだ誰もが納得する結論に至っていません(参考:カルヴァン『綱要』Ⅳ-17-40~42、ウ大教理問答172、173)。

イエスの最後の晩餐とその他の食事とは、どこが違うのでしょうか。また歴史的に考察するなら、幼児陪餐がなぜ13世紀以降に廃れてしまったのか。これも歴史家の研究が待たれるところです。

次に聖餐を考えるにあたって、この世の思想の影響を受けるべきではありません。未信者が陪餐に与かることができないことを、差別ととらえる風潮には注意しなければなりません。また宣教論的に聖餐を考えることは、教義学的に考えなければならないことを実践神学的に考える過ちと似ています。アルミニウス主義は、神中心の神学ではなく、人間の自由意志を強調することから起こってきた思想ですが、現代の聖餐論も現代的なヒューマニズム思想の影響を受けていないでしょうか。

これらの注意点を考慮しながら、しかしこれからの聖餐式の式文は、ユーカリスティアの側面が多少導入される必要はあるでしょう。また聖餐式の理解を増大させる教育的式文が必要になります。

 

知的障害者の受洗と陪餐については、改訂される式文では小会の判断に一任されることになっています。しかし小会が勇気を奮って一歩を踏み出せるように、知的障害者も神の家族の一員であるという、積極的な意味の面を考慮するべきでしょう。

次に聖別の祈りについては、式文では聖別されるべきは聖餐の品々であるようにとらえられますが、祈りによって聖変化を起こさせるのではありませんから、聖別の祈りは我々の側の信仰のあり方に注意を喚起させるものであるべきでしょう。

 

*参考文献

『洗礼・聖餐・職務』(日本基督教団出版局)

『リマ文書学習の手引き』(ウィリアム・ラザレス著、日本基督教団出版局)『聖餐』(日本基督教団宣教研究所編)

『現代の聖餐論』(神田健次著、日本基督教団出版局)

『聖餐論』(フォン・アルメン著、日本基督教団出版局)

『イエスの聖餐のことば』(J.エレミアス著、日本基督教団出版局)

『聖餐の聖書的な理解を深めて』(聖書神学舎教師会編)

『礼拝の神学』(岸本羊一著、日本基督教団出版局)

『礼拝とは何か』(J.E.バックハート著、日本基督教団出版局)

『ウェストミンスター信仰基準』『式文』『教会規定』その他改革派教会諸文章

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