聖なる生活をしよう

論壇:         礼拝論、まとめ       6/10/2018

2月18日から8回、公的礼拝の諸要素(招きの言葉、罪の告白、赦しの宣言、聖書朗読、説教、賛美、献金、礼典、洗礼、聖餐式)を学んできました。本日は礼拝の最大要素(目的)について考えます。

ウェストミンスター小教理問答、問1は「人のおもな目的は何か」と問い、「神の栄光をあらわし、永遠に神を喜ぶこと」と答えています。「栄光をあらわす」は原文ではglorifyで、ほめ称える、賛美するという意味です。礼拝の最大の要素は神を賛美することです。

私たちは日常生活において「地の塩、世の光」として働くことによって神の栄光を表すのですが、クリスチャンとしては、何よりもまず神が招いてくださる主の日の礼拝に集い、その場に臨在される復活のイエス・キリストを拝んで、ほめたたえるのです。見えないキリストを私たちはどうやって拝むのでしょうか。それは礼拝の諸要素(聖書朗読、説教、礼典など)によって、復活のキリストが会衆の心の内に示されますので、私たちは信仰告白、賛美、献金などによって応答するのです。

この働きを司られる方は、礼拝の場と、教会と、信徒の心の中に住んでおられる聖霊なる神様です。聖霊は特に説教を用いて会衆の心に働きかけます。従って説教者に求められるのは、聖書の注意深い研究と洞察力、それを会衆に適応して語る説教技術です。そのために牧師はウイークデイに研鑽を励んでいるのです。

これは譬えてみると映写機のような働きです。レンズが良く磨かれていること、光源の光量(ワット数)が大きいことによって、会衆の心のスクリーンに映しだされる、生けるキリストの像は明瞭になります。従ってこれは説教者の日頃の勉強と努力によります。

しかし映写機がいくら明瞭でも、会衆の心にあるスクリーンが汚れていたり、しわくちゃでアイロンをかけてないような状態だと、やはり映写機の像は明瞭には映りません。従って説教が実を結ぶためには説教者と聴衆者の両方の努力が必要になります。

スクリーンをきれいに保つとは具体的にはどんなことでしょうか。それは、土曜日の準備が最大のものです。健康状態を主の日の朝に最高の状態にもっていけるように努力することです。土曜日の夜の暴飲暴食などは論外ですが、睡眠をちゃんと取ること、週報に予告されている説教個所を読んで予習すること、牧師・長老のために祈ることなどです。そして礼拝に遅刻しないこと。これらの準備がきちんとできていれば、心のスクリーンはきれいになって、復活のキリストの像が心に刻まれることでしょう。

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