論壇: 神戸改革派神学校と改革派神学研修所 9/20/2020
本日の礼拝説教は「神戸改革派神学校」3年生の山口弘神学生です。私たちは教会数139、現住陪餐会員5000人の小さな教派ですが、首都圏の「改革派神学研修所」を含めて二つの神学校を持っています。
神学校の歴史は日本の教会史でもあります。「神戸改革派神学校」の前身から始めて、簡単に私たち教派のルーツを振り返ってみます。詳しくは教会図書の『神戸改革派神学校史』をお読みください。
1907年:アメリカ南長老教会在日ミッション、「明治学院神学部」と
の協力関係終止(簡易信条主義の自由主義的福音主義との決別)。
「神戸神学校」を開校。校長=S.P.フルトン(→1938年没)
1927年:大阪神学校と合併して「神戸中央神学校」となる。
1939年:宗教団体法公布。すべてのプロテスタント教会は「日本基督
教団」に合併させられる。
1942年:神社参拝を拒否して神学校を閉鎖させられる。
(1945年敗戦、1946年「日本基督改革派教会」創立)
1947年:「神戸改革派神学校」開校。
1974年:「改革派神学研修所」設立。教室=東京教会、東京恩寵教会。
「改革派神学研修所」設立理由は、教会図書にある研修所の「20、25、30、35、40年史」をご覧ください。私はこちらの卒業生ですが、私なりに簡単にまとめると、この時代の世界の政治状況、思想の世界、キリスト教神学が激動時代の中にあったことと大きな関係があります。
1965年~1975年はヴエトナム戦争時代で、あらゆる既成価値観、思想が根底から疑われ、再解釈される時代でした。教会では「聖書論」論争が盛んで、「聖書は一語一句に至るまで神の言葉で誤りがない」とする「無誤性」論者と「無謬性」論者(聖書は思想において謬りがない)、「聖書は人間的な作品」と主張する自由主義者などが入り乱れて論争していた時代でした(私たちは「40周年宣言」で解決を見ています)。
神学校もこの論争の波にあったとき、教派には一つの神学校ではなく複数の神学校(神学研究機関)があるのがふさわしいとする人々が現れ、「改革派神学研修所」設立となったのです。聖書解釈、社会における教会の立場、女性長老問題、戦争と平和、原発、LGBT、臓器移植、生命倫理など、教会が直面する様々な問題について、保守的かリベラルかなどのレッテルを貼ったり、一つの結論に無理に導くのは危険だというわけです。従って困難な神学論争にあたっても、浅い神学議論で終わるのではなく、改革派教会は長老派伝統の神学、改革派伝統の神学など、複眼的な考察と議論ができるようにしたのです。