神の民の反抗

論壇:          神の民の反抗         9/8/2019

出エジプト記、レビ記、民数記は、民がモーセや神に繰り返し反抗したことを語ります。

出エジプト記では、①ファラオのいやがらせで、民は藁なしで煉瓦を作らせられ、モーセに反抗(5章)。②葦の海でエジプト軍に皆殺しにされそうになった時、民はモーセに反抗(14章)。③食料がないと不平を述べた民にマナが与えられた(16章)。④レフィディムで水がないと不平を言う民に、モーセは岩を杖で打って水を出した(17章)。⑤山からなかなか降りてこないモーセのために、民はアロンに頼んで金の子牛を作らせた(32章)。

レビ記では、神との契約の席に連なり「神を見て食べ、飲んだ」あのナダブとアビフなのに(出エジプト記24:11)、異なる炭火をたいて殺されました(レビ記10:2)

民数記では、①マナに飽きた民が肉を食べたいと激しい不満を述べ、主の火が燃え上がったが、うずらが与えられた(11章)。②モーセの姉ミリアムと兄アロンがモーセと主導権を争った(12章)。③カナン偵察隊の報告を聞いて共同体全体が反抗した(14章)。④コラ、ダタン、アビラムがモーセとアロンに対して主導権を争って反抗。250人が焼き殺された(16章)。⑤カナン入境直前のメリバで、飲み水がないと民が反抗。モーセはかっとなり、命ぜられなかった岩を打つ行為を行い、カナン入国を拒否された(20章)。⑥エドムで、民はそまつな食料に不平を述べ、「炎の蛇」によって多くの者が殺された。⑦シティムで、民はバアル礼拝の背信行為を犯し24000人が殺された(25章)。

イスラエルはなぜこれほどまでに神に反抗したのでしょうか。それも食べ物に対する不平です。また旧約聖書はなぜこのように神の民イスラエルの「恥ずかしい」わざをここまで次々と描くのでしょうか。それは出エジプトという奇跡のわざは神のすばらしい導きだったが、それに対する民の応答は感謝するどころか、恥ずかしい限りの神への侮辱行為だった。なぜならイスラエルは奴隷根性の中にどっぷりと浸っていたからだ。そのような反逆の民を、神はこれほどまでに忍耐しておられたのです。神は「主、憐れみ深く恵みに富む神、忍耐強く、慈しみとまことに満ち、幾千代にも及ぶ慈しみを守り、罪と背きと過ちを赦す。しかし罰すべき者を罰せずにはおかず、父祖の罪を、子、孫に三代、四代までも問う者」という厳しいお方でもあるからです。この神の義と愛、神の峻厳と慈愛の両面を聖書はこのような具体例をあげて教えているのです(出エジプト記34:6、7)。

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