礼拝論6、礼典(サクラメント)

論壇:     礼拝論6、礼典(サクラメント)   5/13/2018

2月18日から論壇で礼拝論を取り上げ、礼拝の諸要素について解説してきました。2/18、25、3/4、4/8、22の論壇をお読みください。また週報は大事に保存してくださり、くりかえし論壇をお読みください。

礼典とは礼拝で行われる儀式ですが、日本ではまだこの造語は十分に流通していず、一般社会では知られていません。むしろ「典礼」(葬儀社)の方が良く知られています。この言葉に替わる良い言葉を作りたいものです。私はサクラメントという言葉が歴史的に使われてきましたので、こちらの方を好みます。ラテン語「サクラメントゥム」という言葉は忠誠の宣誓という意味ですが、2世紀のラテン教父テルトリアヌスが洗礼式をサクラメントゥムと呼んだことによると言われます。

カトリック教会は洗礼、聖餐、堅信(信仰告白式)、赦し(告解)、塗油(病人に油を塗る)、叙階(聖職者の任命)、結婚を7つの秘跡と呼びます。しかしこれらの儀式は、それらを受けることによって自動的に神の恩寵が与えられるという誤った認識によって形骸化し、聖遺物礼拝、魔術、迷信、聖職売買など数々の弊害を生み出しました。宗教改革のプロテスタント教会は、イエス・キリストが制定された洗礼と聖餐式だけが礼典であるとしました。

カトリック教会は「赦し」(かつて告解と呼ばれた)について、洗礼前に犯した罪は洗礼によって赦されるが、洗礼後に犯した罪は、そのつど司祭の前で罪を告白する懺悔を行い、司祭の指定した償いを行うことによって赦されると教えます。そのためカトリック教会の会堂には小さな告解室が設けられています。私たちの会堂にはこのような小部屋はありません。私たちはなぜ「懺悔」をする必要がないのでしょうか。

それはキリストの十字架がすべての罪を「償う」のに十分であったからです。「神はキリストの償いのゆえに、私のすべての罪と、さらに私が生涯戦わねばならない罪深い性質をも、もはや覚えようとなさらない」(ハイデルベルク信仰問答56問)。ここには洗礼前の罪・洗礼後の罪などという区別はなく、私の存在にまつわりつく「原罪」と、そこから生じる「現行罪」のすべては、十字架によって赦されたのです。

さて礼典は、原則的には公的礼拝の中で行われる儀式ですが、病床洗礼、病床聖餐式を行う場合もあります。病気でなくても、老齢によって教会の礼拝に出席することが困難になった場合には、牧師が家庭を訪問して聖餐式を行うこともあります。受難日礼拝(金曜日)に聖餐式を行っていることは皆様ご承知のとおりです。次回から「洗礼」、「聖餐式」と、学びを展開していきます。

pagetop