待降節に読むメシア預言

論壇:        待降節に読むメシア預言      12/9/2018

旧約聖書には多くのメシア預言があります(受付に一覧表を置いておきますのでお読みください)。大部分は詩編と預言書(イザヤ、エレミヤ、エゼキエル、ダニエル)と12小預言書(ホセア~マラキ)にあります。詩編ではイエスの最後の1週間に関するものが中心です。預言書にあるメシア預言の多くは、紀元前8~6世紀に集中しています。なぜでしょうか。

イスラエルはこの時期、大変な国難に襲われていました。チグリス・ユーフラテス一帯を支配していた史上最初の世界帝国アッシリアが、西への侵略を始めたからです。イスラエルは南北両王国に分裂していましたが、北イスラエルは近隣諸国と軍事同盟を結んでアッシリアの侵略に備えようとしました。しかし南王国ユダはこれに参加せず、アッシリアの属国となって生き残ることを選びましたので、シリア・エフライム戦争(733年)が起きました。これがイザヤ書7章のインマヌエル預言の背景です。

アッシリアの覇権によってオリエント一帯は緊張した政治状況になっていましたが、天変地異も起こりました。763年の皆既日食はアモス書8:9に描かれており、これはメソポタミア年代学の基礎となっています。760年にパレスティナ一帯を襲った大地震はアモス書1:1、ゼカリヤ書14:5に記録されています。この時代は政治状況、軍事状況、自然世界のどれもが騒然としていました。そんな時にメシア預言が集中しているのです。

アッシリアによる侵略の恐怖に対して、人々は近隣諸国による軍事同盟、エジプトへの援助要請、アッシリアへの隷属など様々な方策を考えましたが、神を信頼し、神に頼る信仰は吹き飛んでいました。軍事同盟を結ぶということは相手国の宗教を尊敬し、自国でも祭ることです。しかしヤハウェの神はこれを偶像礼拝として嫌悪され、預言者を派遣して警告されました。しかし正しい信仰を説教する預言者は迫害されました。

701年、エルサレムを包囲していたアッシリア軍18万5000人が「主の御使い」によって撃たれるという事件が起こり(列王記下19:35)、エルサレム神殿の存在こそが神の守りの目に見える証拠だという盲信となり、見える神殿に寄り頼む形骸化した信仰となり、正義もすたれました。

このような時代背景の中で預言者たちは「主の日が来る」、すなわち裁きの日が来ることを警告しました。しかし悔い改めれば「救い」も来るのです。その救いはダビデのような信仰を持つ王によって行われる。これがダビデの家系から誕生するメシア(救い主)預言となりました。力を持って諸国を平定するメシアなる王、預言者たちはメシアへの期待と悔い改めの両方を説教しました。しかし歴史上このような軍事的な理想の王は現われず、ついに軍事力ではない、平和の主イエス・キリストがメシアだと分かったのです。

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