安息日

論壇:          安息日         8/23/2020

日曜日は「安息日」か「主の日」かという論争が改革派教会の中にあります。それは労働、娯楽などの「禁止」という要素を強調するか、「喜び」の礼拝日と考えるかの違いです。

ウエストミンスター信仰告白(1647年)では禁止面が強調されます。「安息日は、人々が自分の心を正当に準備し、その日常の用務をあらかじめ整理したのち、この世の職業や娯楽についての自分の働き・言葉・思いから離れて、まる一日きよい休息を守るのみでなく、神礼拝の公的私的営みと、やむをえない義務と慈善の義務とに、全時間従事するときに、主に対してきよく守られる。」(21:8)

第2スイス信条(1566年)は次のように述べます。「安息日は礼拝と愛の業のために守られる。しかし我々はそのことをユダヤ人のように迷信的に守ることを許さない。我々はその日が他の日よりも聖いと信じてはいないし、また神が目的なしに安息の日を定めたとも思わない。我々は安息日ではなく、主の日を自由に守るのである。」(24:2)

ジュネーブ教会信仰問答(1542年):問168「神は我々に、週に一日、あらゆる仕事を禁じられるのですか」。答「この戒めは、幾らか特殊な考慮を要します。なぜならば、安息日を守ることは、古い律法の儀式の一部であるからであります。従って、イエス・キリストが来られたことによって、それは廃止されたのであります。」

ところで、天地創造において、神は一つの仕事をするたびに「第1の日」「第2の日」とカウントされ、「第7の日に仕事を完成し、安息され、祝福し、聖別」されました(創世記2:1-3)。その後は「第8の日」「第9の日」とは続きませんので、現在は第7の日がずーと続いていて、神の祝福は今に至るまで継続していると考えられます。神は私たちの生活のために7日間のリズムを作られたのですから、私たちは第7の日を新しい一週間のスタートとして、日曜日を主の日と呼ぶのです。

ユダヤ人たちは安息日には一切の労働を禁止し、煮炊きも禁止しました。しかしイエスは「安息日は、人のために定められた。人が安息日のためにあるのではない。だから、人の子は安息日の主でもある」(マルコ2:27)と、禁止令ばかりの形骸化したユダヤ教を批判されました。私たちは主の日には、喜びをもって礼拝を守った後、学び、教育、交わり、病者訪問、伝道などのために、この世の働き以外の「活動」をするのです。神との最大の交わりがこの日に与えられますので、この力に押し出されて、人と人との愛の交わりができるのです。

 

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