奴隷制社会とキリスト教

論壇       奴隷制社会とキリスト教      7/1/2018

ローマ帝国は奴隷制によって経済基盤が成り立っていました。1世紀のローマ帝国の自由人と奴隷の人口比は1:3という説もあります。奴隷の中には肉体労働者ばかりではなく、貴族の子供の家庭教師をするもの、執事、軍人などもいましたが、農場、鉱山などで働かされる奴隷の生活は悲惨なものでした。

パウロもペトロも、奴隷制を否定する社会改革運動をしませんでした。そのためキリスト教を批判する人たちは「キリスト教は愛の宗教だと宣伝しているのに、人権侵害が最もひどかったローマ帝国の奴隷制を批判していない」と攻撃します。これはクリスチャンでない人だけが言うのかと思ったら、「聖書は時代的限界の中で書かれたので、奴隷制という人権侵害を否定していない」などと解説する牧師まで出てきました(まじわり6月号)。

本日のテキストでペトロは「召し使いたち、心からおそれ敬って主人に従いなさい…不当な苦しみを受けても」(Ⅰペトロ2:18、19)と教えます。パウロも「奴隷たち、キリストに従うように、恐れおののき、真心を込めて、肉による主人に従いなさい」(エフェソ6:6)と教えます。これは時代的限界の中で聖書が書かれたからなのでしょうか。

奴隷に主人への服従を求めるのは、その奴隷の命と生活を守ることで「人権侵害」ではありません。奴隷解放を主張することはローマ帝国に対して武力で反乱するということで、社会に大混乱を起します。奴隷剣闘士スパルタカスの反乱(BC73~71年、鎮圧後6000人が十字架刑にされた)がまだ記憶に新しいローマ社会です。武力反乱が悲惨な結果を招くことはパウロもペトロも知っていました。

「奴隷とは主人の見ていないところではさぼり、盗み、けんかしている」という、当時の一般市民の奴隷に対する見方はルカ福音書12:45に表現されています。そのような背景でテトス2・9、10を読むなら、倫理道徳に無縁な奴隷連中を、忠実な人格者に変えてしまうような宗教は何だろうかと、人々がびっくりする。そのようにキリスト教がほめ称えられるとパウロは教えているのです。

不当な苦しみを受けている奴隷たちにとって、理解されないことが最大の苦しみでしょう。それを仲間同士で慰め合えとペトロは言っているのではなく、その苦しみをご存じの方がいるのだという事実を教えているのです。

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