初代キリスト教会史

論壇         初代キリスト教会史       3/27/2022

使徒言行録はキリスト教の宣教がエルサレムから始まり、ユダヤ、サマリア、地の果てにまで伝えられる様相を描いています(1:8)。エルサレム教会の監督、イエスの弟「義人ヤコブ」は、AD62年にユダヤ人によって律法違反の冤罪で殉教しました。エルサレムの原始教団はユダヤ戦争(66―70年)によって幕を閉じますが、その後は使徒言行録にあるとおり、主にパウロの宣教によってアジア州(現在のトルコ)からヨーロッパの地中海周辺にたくさんの教会が誕生します。使徒言行録ではペトロとパウロの宣教を中心に描いていますので、他の使徒たちの活動については伝承によって知るのみです。

使徒言行録13章から、アンテイオキア教会から派遣されたパウロの3回の伝道旅行が描かれています。この教会には「預言する者や教師たち」がいるほど相当大きな規模でした。

アジア州での宣教はユダヤ会堂で説教をするスタイルでしたが、ユダヤ人たちの妨害に遭い、始めのころはガラテヤ教会を除いて教会はできなかったようです。後には黙示録の7つの教会に記されているように多くの教会が誕生しました。

パウロの第2次伝道旅行(15:36~18:22)から、ヨーロッパの地中海周辺に次々と教会が誕生します。フィリピ、テサロニケ、コリントなどです。パウロ殉教(AD64年?)後の2世紀になると、アジア州、シリア、パレステイナ、エジプト、北アフリカなどに100以上の教会ができました。迫害に遭えば遭うほどクリスチャンの数は増えていったのです。黙示録は1世紀末の教会の背景で書かれました。

教会の組織作りに目を向けますと、パウロによる宣教地では「教会の長老たち」(20:17)が選ばれています。パウロの弟子テモテによる書簡では、長老たちの中から「監督」を任職する際の資格が、また「奉仕者」(執事)の資格が述べられています(Ⅰテモテ3:1~13)。

しかし教会といっても「教会堂」があったわけではありません。ユダヤ人の迫害の後にはローマ帝国による大迫害が起こってきましたから会堂など建てられません。クリスチャンたちは個人の家に集まり「家の教会」という群れを作り、それらがいくつか集まって「地方の教会」となりました。これらの教会の組織の中に教師、監督、長老、執事が立てられ、秩序だった教会群ができました。彼らは迫害がひどい時には隠れて、またカタコンベ(地下墓地)で礼拝や集会を行いました。

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