出エジプトの時期とコース

論壇:      出エジプトの時期とコース     6/30/2019

出エジプトがいつ起こったのか正確には分かりませんが、5月26日の論壇で早期説(BC15世紀)を紹介しました。これに関連して面白い研究があります。それは出エジプト時の10の災いを、エーゲ海のサントリーニ火山(エジプトの西北約700km)の噴火と関連させるものです。

サントリーニ島は今からおよそ3500年前の大噴火によって、中央がそっくりカルデヤとなって水没し今の形になりました。この噴火の年はBC1610年と言われますが、1500年頃という説もあります。この説によると出エジプト時の10の災いを、地震、噴火による天変地異の結果として科学的に説明できるのだそうです。

ナイル川が血に変わったのは、地震による硫化鉄の噴出によるもので、魚の死骸が腐って蛙が地上に逃げ出し、蛙の死骸からぶよ、あぶ、疫病が発生してはれ物になり、地上40kmに達した噴煙が雹になり、火山灰に追われた北アフリカのいなごが風に乗ってエジプトを来襲。空を覆った火山灰が暗闇をもたらしたというものです。長男の死は説明できませんが、葦の海(湖)が割れたのは地震(余震)によって起こされた津波で、「火の柱、雲の柱」(13:22)とは火山の噴火と噴煙というわけです。

口語訳聖書では葦の海を紅海と訳していましたが、これは間違いです。しかしこの場所は現代の地図を見ていても分かりません。現代は宇宙考古学と呼ばれる新しい分野があり、NASAの衛星画像を分析して古代の海岸線や地表の変化が分かるようになりました。それによると今は干上がって原野になっていますが、古代では地中海から入り込んだ入り江の湾が、イスラエルが渡った海ではなかったかと言われます。

これはあまりにも合理的な説明です。「主は夜もすがら激しい東風をもって海を押し返された」(14:21)とありますように、神様は第2原因と呼ばれる自然現象を用いて奇跡を行われます。従ってイスラエルが海を渡る時は引き潮だったが、エジプト軍が渡る時には満潮になったのだと考えるのは構いません。「主は戦車の車輪をはずし、進みにくくされた」(14:25)というのは、ぬかるみに車輪がはまったことの信仰的な表現だと言っても良いでしょう。しかしすべての出来事を自然現象で説明することはできません。その背後にある、地震、ナイル川、火山、津波、雹など、自然現象を御自分の栄光のために用いられる神様の大きな御わざをほめたたえるべきでしょう。イスラエルにとっては何とも都合よくこれらの自然現象が味方をしてくれたのですから。

参考図書『旧約聖書とエーゲ海の大異変』。

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