信仰の勇者たち

 

論壇        信仰の勇者たち       4/18/2021

ヘブライ人への手紙11章は「信仰者列伝」と呼ばれます。ここに名を挙げられた旧約聖書の人物アベル、エノク、ノア、アブラハム、イサク、ヤコブ、ヨセフ(創世記)、モーセ(出エジプト記)、ラハブ(ヨシュア記)はエピソード付きで登場します。

しかしその後のギデオン、バラク、サムソン、エフタ、ダビデ、サムエル、預言者たちは名前が挙げられるだけです。35節以降は名前も出ませんが、この人たちは旧約聖書ではなく旧約聖書続編のマカバイ記に登場する人物です。旧約聖書の有名な預言者エリヤ、エリシャ、イザヤ、エレミヤなどはこのリストに登場しません。どのような観点からこの信仰者列伝は構成されたのでしょうか。

11章の表題は「信仰とは望んでいることを確信し、見えない事実を確認すること」という信仰の定義が書かれています。従ってこの定義に合致する人物が列挙されているのです。

アベルはまだ死が経験されたことのない時代の中で、いけにえの死をもって自分の罪を告白しました(創世記4:4)。エノクが「神と共に歩んだ」(創世記5:25)とは、無神論の世の中で見えない神と人格的に交わりを持ったことです。ノアは「まだ見ていない」洪水が襲うことを信じました(創世記6:22)。アブラハムは「行先も知らずに」出発しました。彼にとって行く先がどこか分かっているならば、それは目に見えることであり信仰によることではなかったでしょう。アブラハムは「信仰者の父」ですから、彼に関するエピソードが最も詳しく書かれます。

これらイスラエルの族長たちは「約束されたものを」この世で得ることはありませんでしたが「はるかにそれを(信仰の目で)見て喜びの声をあげました」(11:13)。そのために大変な迫害にあっても(11:35-38)、この世よりももっと良い世界における永遠の神との交わりを選んだのです。ヘブライ書の著者は私たちがこのような信仰の模範によって生きるようにと勧めています。

クリスチャンは目で見えるものによって歩むのではなく、見えなくても確実である神の約束の言葉に従って歩むのです。今の世は「仮住まい」であって「私たちの本国は天にあります」(フィリピ3:20)。

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