レンブラントの「放蕩息子」

A. 1635年 

B. 1660年

オランダの画家レンブラント(1606-1669)は聖書を題材に多くの絵を描いていますが「放蕩息子」に関してはエッチングで2点、絵で2点あります。A.が29歳の時の作品、B.が54歳の時の作品です。A.の絵はレンブラント本人と28歳の時に結婚した妻のサスキアがモデルと言われます。
この絵には本人が切断した、背景を表す左半分があったと言われます。それは売春宿でした。豪華な衣装やグラス。絶頂期にあったレンブラントは売春宿の客に扮することによって「放蕩息子」を演じ、自分を戒めたのかもしれません。いや聖書を知っていながら「俺は放蕩息子だよ、そんなことは分かっているよ」と、自分を突き放すように自画像を描いたのかもしれません。
B. の絵は晩年の作品で、レンブラントの内面の成長と共に聖書の読み方にも変化が表れています。それは放蕩息子の兄にスポットライトを当てているからです。放蕩息子の譬え話は帰ってきた弟とそれを迎える父親が主人公ですが、隠れたもう一人の重要な主人公は兄です。親子の抱き合う感動の場面を、冷たい眼差しで見つめる兄の心の内が鋭く描かれています。
レンブラントは改革派教会の信徒として信仰深く、「光と影の画家」「魂の探究者」などとステレオタイプに評価されています。類まれな彼の内面性は作品を見れば分かりますが、俗なる部分も相当あったようです。骨董品や海外の貴重品を買い漁って、妻サスキアの持参金を湯水のように、ちょうど放蕩息子のように浪費してしまったと言われます。妻サスキアが結核で死んだ(1642年)後、家政婦と愛人の間で争いになり1649年には婚約不履行で告訴されています。
しかし聖書を題材に、人間の内面、光と影を鋭く見つめた彼の画法は、誰もが認める至高の芸術となっています。「俺は放蕩息子だ」と心で叫びながらも肉欲にのめりこんでいく、私はそんな、信仰と俗が絡み合ったレンブラントの生涯に親しみを感じます。

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