ヨエル書

論壇:         ヨエル書         1/17/2021

本書の執筆年代は内容から確定できる情報がほとんどないので、学者によってBC9世紀からBC3世紀まで様々な解釈があります。王への言及がないので、少年ヨアシュ王を祭司ヨヤダが指導していた(列王記下12:1―3)時代ではないかとか、アラム、アッシリア、バビロンへの言及がないので、それらの後の時代ではないかと考える学者もいるのですが、「書いてないから無なかった」などという「非存在からの証明」などというのは現代でもやりません。書いてあることから解釈するのが学問というものです。すると「テイルス、シドン、ペリシテがユダの人々を奴隷としてギリシャ人に売った」(4:4―6)に該当する時代は、王制が滅びた後のバビロン捕囚時代のことかもしれません。

ヨエル「ヤハウェはエル(神)である」の人物像についてもほとんど情報がありません。ただ神殿の行事や儀式の慣用表現についての知識が見られることから祭司階級ではなかったかと思われます。

ヨエル書のメッセージは、エルサレムに襲いかかってくる苦難の日(主の日、主の怒りの日)への警告「主の日は大いなる日で、はなはだ恐ろしい」(2:11)と、回復「主は御自分の国を強く愛し、その民を深く憐れまれた」(2:18)です。「主の日」とはアモス書が言うような「礼拝の日」ではなく裁きの日のことです。この「恐ろしい日」がイナゴによるのか、敵軍によるのか、それとも敵の来襲の恐ろしさをイナゴに例えたのか、またはその逆か、解釈の難しいところです。

私はヨエル書全体を音読で朗読した結果(13分)、これは神の啓示を受けたヨエルの説教ですから、民がすでに何度も体験したであろうイナゴの恐ろしさ、敵軍の恐ろしさをモチーフに用いながらの警告説教であったのでしょう。これは音読してみないと分かりにくい点です。ヨエル書全体に響く、叫ぶような演説口調は預言者という人物が実際にどのように説教していたのかを想像させます。敵軍の侵略の様子をまざまざと目の前に描き出したり、語呂合わせ「ヨシャファト」を用いるなど、臨場感あふれる説教です。

ヨエルは「主の日」が近い、また遠い歴史の中で起こると考えて説教しています。しかしヨエル自身にも理解できない「聖霊降臨」予言の不思議さは、不思議さゆえにこそ民の記憶に残ったのでしょう。

pagetop