メシア預言の背景

論壇:         メシア預言の背景       12/6/2020

旧約聖書のいわゆるメシア預言のほとんどは、預言書(イザヤ、エレミヤ、エゼキエル、ダニエル、12小預言書)と詩編の中にあります。

それら以外のものは少ないので、あらかじめ列記します。

原福音(創世記3:15)、創世記49:10、民数記24:17、申命記18:15、ダビデ契約(サムエル記下7:12)、ヨブ記16:20、19:25。詩編の中に出てくるメシア預言のほとんどはイエスの十字架の場面に関するものが多いことが特徴です。「OTのメシア預言」一覧表を受付においておきますのでお読みください。

さてイザヤ書以降の預言書は、アッシリア帝国やバビロン帝国の侵略によって国が亡びるという危機感の中で、預言者によって説教された警告の中で語られました。世の中が平和で栄えている時には救い主など必要ありません。預言者が指し示した救いは、恐ろしい危機が来るぞという警告の中で語られました。

救いとは当時の現実の世界の中で登場する王によってなされます。武力に強く、信仰と正義と愛に富んだ王が出現することによって実現するのです。いつの時代でも「良い王の治世」が来ることが人々にとって福音でした。従って世継ぎの王子誕生のニュースは福音として喜ばれたのです。これは当然のことで、今は国が亡びるが、今から何百年の後に現れるメシアによってイスラエルは救われるなどと説教されても、その当時の人々にとっては何の慰めにもなりません。

人々はすぐにも与えられるであろう理想の王、ダビデのような王が現れると期待しました。しかしそんな王は歴史の中で登場しませんでした。従って国が滅びた後、預言者の説教の保存が行われ「預言書」として編集されました。そしてメシア預言は結果的に、遠い将来、つまり国が滅びてしまった後で登場するイエスまで待たねばなりませんでした。

預言者の説教は、人々の偶像礼拝と罪が神の怒りを招来すると警告することが第1でした。しかし人々は国が滅びるなどという不吉な説教など聞きたくはありません。従って預言者が語れば語るほど「民の心はかたくなになり、耳は鈍く、目は暗くなり」(イザヤ6:10)、結局悔い改めず、国は滅びてしまいました。

このように警告と希望がセットで語られることがメシア預言の特徴です。神様は警告を語ると同時に「立ち帰れ、立ち帰れ、お前たちの悪しき道から」(エゼキエル33:11)と常に私たちを招いておられます。

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