ペトロの素朴な信仰

論壇:      ペトロの素朴な信仰       7/29/2018

ペトロの手紙Ⅰを6月から6回にわたって連続講解してきました。本日は7回目です。パウロの手紙との違いがなんとなく解ってきたのではないでしょうか。パウロは自分で開拓伝道した教会へのアフターケアーのために、また弟子の教育のために手紙を書きましたので(ローマ書を除く)個人的挨拶が豊富です。パウロの手紙13通を一 くくりに論評することはできませんが、親しい相手との交流関係がうかがえます。ローマ書には個人的挨拶もありますが、本文は神学論文調で書かれています。

ペトロはローマ帝国の中で、試練に遭っているクリスチャンたちを励ますためにこの手紙を書いています。当時のクリスチャンたちは、ただ単にキリスト者であるという理由で、意地悪をされたり憎まれたり誤解されたりして苦しんでいました。また教会の中には偽教師、異端も現われ(Ⅱ、2章)注意をしなければなりませんでした。ペトロは教会員たちを励ますために、また勇気を奮って迫害に立ち向かうようにと教え、特にキリストの模範に倣うように示しています。

ペトロは旧約聖書のイザヤ書、ホセア書、創世記、詩編、箴言、民数記の、ユダヤ人なら誰でも知っている有名な箇所を引用しますが、旧約外典ヨベル書も引用します(Ⅱ、2:4、5)。これは当事のユダヤ社会で広く知られていた、聖書に関する民間伝承です。ペトロは幼い頃から親に教えられ、また寺子屋(シナゴグ)で教えられてきた聖書の様々な教えや伝承を素朴に信じてきたのでしょう。

ペトロはガリラヤの漁夫です。その教養はシナゴグと家庭で教わったもの以上ではないでしょう。もちろんユダヤ人は聖書を熱心に子供に教えましたから、かなりの部分を暗誦できたでしょう。しかしそのことと、人に教えることとは別です。伝承では福音書記者マルコがペトロの通訳だった(パピアス断片集)とありますから、ギリシャ語が公用語であったローマ世界で、伝道ができたのでしょう。

一方パウロはラビになるために、エルサレムの最高学府で学んだ学識豊かな学者です。この二人が用いる旧約聖書の引用の仕方と深さが違うのは当然です。ペトロはパウロのように、旧約聖書のあちこちから、縦横無尽に聖句を引用して論陣を張ることはできませんが、誰もが知っていて、な染んできた聖句を用いて分かりやすく説得しています。ここからペトロの素朴な信仰がうかがえます。私たちも聖書の言葉をたくさん蓄え、人生の折々に思い出すことによって信仰生活を豊かにしたいものです。

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