ペトロの手紙1、緒論

論壇:      ペトロの手紙1、緒論       6/3/2018

朝の礼拝では、本日から数回にわたってペトロの手紙を連続講解します。過去の教会年報を調べましたら、1997年と2007年に祈祷会でこの手紙を学んでいますが、ほとんどの会員にとっては新しい学びとなります。

この手紙は黙読でわずか11分、音読では17分ですから、皆さんはぜひ全体を通読してください。聖書の手紙文を読む時には、いつも言っていることですが、繰り返し使われている言葉に着目するだけで、雰囲気が伝わってきます。それは、聖なる者(5回)、仮住まい(3)、苦しみを受ける(13)、試錬(3)、キリストが現れる時(2)、終わりの時、終わりの時代、万物の終わり、訪れの日、裁きが始まる時、かの時、やがて現れる栄光、大牧者がお見えになる時、「従いなさい、立派に生活しなさい」などの命令文の形式(43)。このような言葉を繰り返し用いることによって、ペトロは何を言いたいのでしょうか。

さらに皆さんは、ペトロに関するエピソードを福音書、使徒言行録から思い出しましょう。そこから浮かんで来るぺトロの長所、欠点、性格、家族構成、失敗談を調べることも重要です。たとえばペトロはイエスを否認したことがありました(マルコ14:66-72)。この事件の思い出は、この手紙を口述速記している時、どのような感慨を起させたでしょうか。

この手紙でペトロが言いたいことは、迫害の中で苦しんでいるクリスチャンたちが、いかにして試錬に耐えることができるかを教えたいのです。また信者たちが信仰を証しし、善行によって悪口を封じ、終末信仰を生きなさいということです。

終末信仰とは、この世に生きていながら、この世に執着しない生き方です。なぜならこの世は罪のために滅んでいくからです。その日が今日なのか、何十年後なのか誰にも分かりません。しかし世界が終わるという終末のほかに、個人的終末もあります。それは私に与えられた寿命が終わる日です。その日も私たちには分かりません。従って私たちには毎日毎日が終末なのです。

クリスチャンはこの世から引き上げられ、天国の住民とされ(フィリピ3:20)、新たに使命をもってこの世に派遣された者です。それは地の塩、世の光として、キリストを証しするためです。私たちに信仰が与えられたのは、神様の側で私に関する計画があるからだと信じて生きるためです。この世に存在しながら、あの世の側からこの世を眺める。それが終末信仰に生きるということです。

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