キリスト諸教派の由来

論壇:      キリスト諸教派の由来      2/23/2020
オリーブの会で新しいテキスト『キリスト教の始まり』の勉強会が始まりましたので、キリスト教の歴史全体を概観しておきたいと思います。
キリストの復活とともに始まったキリスト教会は、ローマ帝国の大迫害時代の後、コンスタンティヌス皇帝によるミラノ勅令(313年)によりローマ帝国の公認宗教となり、テオドシウス皇帝によってローマ帝国の国教となります(392年)。その後、教会はローマ帝国の東西分裂(395年)に伴い、ローマを中心とする西方教会(神学と礼典をラテン語で行う)と、コンスタンティノープルを中心とする東方教会(神学と礼典はギリシャ語)に分かれます。東ローマ帝国は1453年にオスマン帝国によって滅ぼされるまで1,000年以上にわたって続きます。西ローマ帝国はゲルマン民族の大移動の嵐の中476年に滅亡しますが、ローマ・カトリック教会は新興ヨーロッパ諸国に共通する国教としての地位を存続しました。
ローマ・カトリック教会の腐敗に反対して起こった16世紀ヨーロッパ宗教改革運動の結果、キリスト教界にはそれまでのカトリック教会、ギリシャ正教会に加えて、ルーテル教会、改革・長老教会(カルヴァン系)、アナバプテスト教会、イギリス国教会(聖公会)などが起こります。
私たちの改革派教会は、宗教教改革運動のカルヴァン(1509-1564)の神学運動にルーツを持ちます。それは新しいキリスト教会を起こそうとしたのではなく、本来の姿を持った原始教会へのリフォーム(原型復帰)であり、聖書の上にのみ、教会を立てようとした運動でした。
1853年ペリー提督の浦賀入港2年後、日米修好通商条約締結により、キリシタン禁制が解かれ、宣教師が続々と日本上陸を果たします(1859:ウイリアムズ、ヘボン、ブラウン、フルベッキ、1860:ゴーブル、1861:バラ夫妻など)。そしてついに日本最初のプロテスタント教会、日本基督公会が設立されました(1872年、現在の横浜海岸教会前身)。
その国を占領していた宗主国の宗教が独立後も優勢であるアフリカや南米諸国とは異なり、敗戦後(1945年)の日本にはあらゆる国の宣教師が、モルモン、エホバの証人、統一教会などの異端も含めて、自由に入国し、世界のあらゆるキリスト教諸派が日本国内で宣教活動をした結果、日本には現在300を超えるプロテスタント諸教派が存在しています。
その団体が正しいキリスト教会であるかどうかは、宗教法人格を持っているかどうかでは判断できません。日本では誰でも、たとえば「私がキリストの正しい後継者である」などと主張して、新しい教会を立てることができ、おまけに宗教法人の資格まで取ることができるのです。次週の論壇では正しい教会を見分ける方法について解説します。

週 報
2020年2月23日 Vol.37 No.8

 

宗教法人 日本キリスト改革派教会
横浜中央教会
〒240-0003 横浜市保土ケ谷区天王町1-4-5
牧師 立石章三 ℡:045-331-0343

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