キリストの再臨

論壇:        キリストの再臨        1/2/2022

キリスト教で最も重要な教理はキリストの再臨です。いつの日か(それは今日かも知れません)キリストが誰の目にもはっきり分かる姿で、天から降って来られ最後の審判を行われます。「稲妻が東から西へひらめき渡るように、人の子も来る」(マタイ24:27、マルコ13:26、ルカ21:27)。(死者の復活については)「最初にキリスト、次いで、キリストが来られるときに、キリストに属している人たち、次いで、世の終わりが来ます」(Ⅰコリント15:23、24)。「神のラッパが鳴り響くと、主御自身が天から降って来られます。…」(Ⅰテサロニケ4:16-17)・・など。

すべてのキリスト教会の基本信条である使徒信条のキリスト論の最後は、復活のキリストが「かしこより来りて、生ける者と死ねる者とを審きたまわん」と告白しています。新年最初の礼拝の今日、改めてこのことを銘記することが私たちにふさわしいと思います。

なぜなら当たり前のこの教理が、日本キリスト教史の中で公に言い表すことができなかった時代があったからです。1942年6月、日本基督教団に併合されていたホーリネス教団系の牧師96名など計134名が検挙され、教会は強制的に解散させられ、7名が獄死しました。

日本聖教会、きよめ教会などは特に再臨信仰に熱心で、伝道の中心メッセージでしたので、当局の目についたのです。彼らが説く「キリストが再臨してすべての人を審き、キリストの支配による新天新地が来る」という教理が、日本の国体を否定するものとして危険視されました。ホーリネス教団の牧師たちは「審かれる人間の中に現人神である天皇も含まれるのか」と問われ、「そうです」と答えたため「国家転覆罪」に問われたのです。

日本基督教団は検挙された牧師たちのことを「我らは皇国臣民たるの自覚に立っているのに、彼らの狂信は迷惑千万なこと。このような不純な信仰が当局によって除去せられたるを歓迎する」と突き放しました。再臨とは精神界の出来事であり、現世を支配している天皇には及ばないのだと逃げてしまったのです。彼らは二つの罪を犯しました。神社参拝の偶像礼拝と、迫害されている同胞を見捨てたことです。彼らは戦後になってこのように弁解しました。「天皇よりキリストが偉いと答えるのは簡単だが、牧師が逮捕され、教会が閉鎖されたら、信徒は誰が面倒を見るのか」。

日本基督教団は1967年に「戦争責任についての告白」を発表しましたが、偶像礼拝の罪については触れませんでした。また1984年にはホーリネス系教団に対し公式に謝罪しました。天皇を再び現人神にしようと「日本会議」が策動している現在、私たちも「目を覚まして」(マルコ13:33、35、37)。いなければなりません。

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