イエスが行った奇跡

論壇:       イエスが行った奇跡       4/26/2020
マタイ、マルコ、ルカ、3つの福音書が出版された後、ヨハネはそれらを初代教会の皆が読んでいることを前提してヨハネ福音書を執筆しました(90~100年頃)。マタイ福音書ではイエスの奇跡は22のケースが記録されていますが、ヨハネは7つだけを取捨選択しました。ヨハネ福音書は前半の「しるしの書」(1~12章)、後半の「受難と栄光の書」(13章~終わり)と二つに分けられますが、奇跡は前半に収められています。それらは下記のとおりです。
1、カナでの婚宴で、水がぶどう酒に変わる(2章)
2、病気の役人の息子が癒される(4:43-54)
3、ベトザタの池で、38年間病気の人が癒される(5:1-9)
4、5000人に食べ物を与える(6:1-15)
5、湖の上を歩く(6:16-21)
6、生まれつきの盲人を癒す(9章)
7、ラザロを生き返らせる(11章)
この中でヨハネ独自の記事は1、3、6、7の4つです。死人を生き返らせる7番目の奇跡が、全体のクライマックスとなるように編集されていると考えると、この配列は、小さな奇跡からより大きな奇跡へ、という順序があるような気がします。なぜ7つに絞ったのか、水がぶどう酒に変わる奇跡をなぜ1番目に配置したのか、ここから様々な神学議論がなされますが、すべての読者を納得させるような説はありません。
初代教会がスタートした時(AD30年頃)、まだローマ帝国の人々にはユダヤ教とキリスト教の区別は分かりませんでした。キリスト教はユダヤ教の中の「分派」(使徒言行録24:14)と呼ばれていました。しかしユダヤ教から迫害されているキリスト教が、ユダヤ教ではないとはっきりローマに認知された時、ローマによる迫害は本格的なものとなったのです(参照:64年のネロによる迫害)。
そんな迫害の中で書かれたヨハネ福音書では、キリスト教こそが本来の聖書の宗教であり、律法主義に変質したユダヤ教を、元の形に戻すためにイエスが来られたというメッセージを伝えるため、「古いものが新しくなる」というモチーフが何度も用いられます。ヨハネはカナの婚宴時の奇跡をトップに配置しました。それは戒律に縛られ、喜びの要素が全く無かったユダヤ教から決別して、キリスト教は喜びの宗教として始まったのだというメッセージです。従ってそこで用いられた小道具は、ユダヤ教の戒律主義を最もよく象徴する水がめの「清めの水」、これをイエスが喜びを象徴する婚宴のぶどう酒に変えたという奇跡でした。

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