『信徒の手引き』を読み直して

論壇:     『信徒の手引き』を読み直して    9/26/2021

2015年に大会教育委員会が出版した改訂版『信徒の手引き』第3章「神の民として生きる」(家庭、結婚、子育て、子どもの独立後の家庭、家族の死)を読み直しましたので、私のコメントを加えながら紹介します。この本に対する私の書評は2015年2月22日の週報論壇に書いてあります。教会図書にまだ在庫の販売本が2冊ありますのでご購読ください(2200円)。

家庭は神の恵みの契約による小さな教会です。その家庭にクリスチャンが一人だけでもこの契約の祝福の中にあります。なぜなら「主イエスを信じなさい。そうすれば、あなたも家族も救われます」(使徒言行録16:31)との確約があるからです。この家庭の主は神様ですから、夫婦は互いを尊敬し、また子どもを信仰によって教育することによって、家庭は福音が実行され花開く場所となります。そのために必要なのが定期的な家庭礼拝です。夫婦の一方だけがクリスチャンである場合は難しいかもしれませんが祈りによって知恵が与えられます。

結婚は神の民の家庭の始まりです。それは二人を結び付けた神に対しての誓約によって始まります。誓約の言葉は司式者の3つの質問に対して「神と証人との前に謹んで誓約します」と応答するものですが、一方がクリスチャンでない場合は「教会の証人の前で謹んで誓約します」となるでしょう。「証人」とは二人の結婚式を見届ける役目ですが、キリストを頭とする教会の代理人としての代表でもあります。

結婚した夫婦にとって重要なのは、今までの互いの生活習慣、価値観、背景などが全く異なったものであったことを自覚することです。互いに伝え合い、聞き合う、何事についても相談し合うコミュニケーションが不可欠です。「言わなくても分かるだろう」は全くの幻想です。相手への無理解は愛の無さを表します。「愛は忍耐強い。愛は情け深い。ねたまない。愛は自慢せず、高ぶらない。礼を失せず、自分の利益を求めず、いらだたず、恨みを抱かない。不義を喜ばず、真実を喜ぶ。すべてを忍び、すべてを信じ、すべてを望み、すべてを耐える」(Ⅰコリント書13:4―7)

夫婦生活は「相手の喜ぶ姿を見るのが私にとって最も喜び」である愛の実践の極致です。日常の生活の中でも自分中心を貫きたい人は結婚不向きと言えます。愛は自己犠牲を喜びます。「人にしてもらいたいと思うことは何でも、あなたがたも人にしなさい」(マタイ7:12)の黄金律の最も身近な実践の場が家庭なのです。

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